2010年
礼拝メッセージ

日曜礼拝と水曜集会のメッセージおよびモーニングメッセージです。
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2010年12月19日(日)
モーニングメッセージ 〜ヤベツの祈り〜

『ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、「どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように」。神は彼の求めるところをゆるされた。』歴代志上4章10節
本日の御言葉は、「ヤベヅの祈り」です。彼の名前の意味は「苦しみ」です。そのような名前をつけられた者が、人生の苦しみから解放される為の祈りを神様にささげました。彼は神様にはそれができると信じて祈りました。そしてその祈りは神様によって成就しました。ぜひこのヤベヅの祈りをそのまま覚えて、同じように祈って下さい。ハレルヤ♪

2010年12月12日(日)
第二礼拝メッセージ 〜神様の作品〜

『わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。』エペソ人への手紙2章10節
本日の御言葉によると、私達一人一人は神様が作られた作品。神様が作ったのだから、一つとして駄作や失敗作はありません。ただ、それぞれ神様の作品としての自覚と信仰を持っているかどうかで、その働きや奉仕が変わってきます。だから、私達は「自分は神様の作品である」「神様の傑作である」と信じて、本日の御言葉のように良い行いをして日を過ごしてまいりましょう。
まずは神様に対しての良い行いです。それは、礼拝です。神様への感謝と賛美をもって礼拝をささげてまいりましょう。さらに神様との関係を良いものにする祈り、聖書、賛美を日々の生活においてもしていきましょう。
次に隣人に対しての良い行いです。これはいろいろありますが、今、私が教えられているのは「安心を与える」です。自分のすべきことをキッチリやって、安心を与える人になって下さい。
神様は私達一人一人が良い行いをして日を過ごせるように、一人一人の内側に愛と信仰と勇気と忍耐を備えて下さっています。さらに、環境も時も備えて下さっています。神様の備えを無駄にしないで、神様の作品として良い行いをして日を過ごしてまいりましょう。ハレルヤ♪

2010年12月9日(木)
モーニングメッセージ 〜私たちの神〜

『主はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、わたしはあなたがたの神、主である。』レビ記18章1節〜2節
神様は今、イエス・キリスト様の十字架の贖いによって、当時イスラエルの人々に語ったのと同じ言葉を私達にも語って下さいます。「わたしは、あなたがたの神、主である」。神様は全ての権威を持ち、私達を治める主です。そして同時に、私達を愛し、守り、助け、教え、導いて下さるお方です。ハレルヤ♪

2010年12月8日(水)
水曜集会 〜神殿の崩壊〜

『神はいにしえからわたしの王であって、救を世の中に行われた。』詩篇74篇13節 
本日は詩篇74篇が開かれました。この詩篇は「神殿の崩壊を嘆く民の歌」という題がついています。 
「神殿の崩壊」は当時のイスラエルの民にとって大変なことです。礼拝する場所が失われ、神様との関係が薄れ、神様の恵みや守りや助けからも遠のいてしまうからです。 
実はこの「神殿の崩壊」は、現代のクリスチャンの心の中にも起こりうる事なのです。神様との関係が薄れる事に恐怖を感じなくなり、神様との関係無しで生きる事が普通になってしまっているクリスチャンが増えています。当然、祈り、聖書、賛美、奉仕、献金、そして礼拝を軽んじ、神様によって生かされている恵みも薄れていってしまいます。 
本日の詩篇74篇は、そんなクリスチャンに警笛を鳴らし、神様との関係の大切さを取り戻させようとしています。そして、取り戻すために、本日の13節の御言葉があります。『神はいにしえからわたしの王であって』です。神様が私達一人一人の王であり、絶対的な権威を持っておられるお方であることを日々認めていくべきです。 
そこに神様の様々な救いが現れてくるのです。神様はイエス様を通して、魂の救いを行い、さらに、生活の中に病からの救い、経済的困窮からの救い、心の闇からの救い、様々なトラブルからの救いを行って下さいます。何があっても何がなくても、「神殿の崩壊」を起こさないように、日々神様を王として生きていきましよう。ハレルヤ♪

2010年12月5日(日)
モーニングメッセージ 〜最も残念な事〜

『そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。』ユダの手紙4節
人間にとって最も残念な事は、イエス・キリストを否定することです。これによって神様による救い、癒し、解放、清め、恵みを受けられないようにしています。だから、イエス・キリストを肯定して(信じ、認め、礼拝し、祈り、聞き、従い)この信仰の道を歩んでまいりましょう。
ハレルヤ♪

2010年11月26日(金)
モーニングメッセージ 〜アドベント(待降節)〜

『すべての人を救う神の恵みが現れた』テトスへの手紙2章11節
もうすぐアドベントです。アドベントとは救い主イエス・キリストを待ち望む期間のことで、日本語では待降節(たいこうせつ)と言います。イエス様は本日の御言葉通り、神様の恵みです。それも最高の恵みです。一人一人の人生に救いを与える大いなる恵みです。
このイエス様の誕生を心からお祝いする準備をしていきましょう。

2010年11月16日(火)
モーニングメッセージ 〜イエス様と交わる〜

『神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。』コリント人への第一の手紙1章9節
イエス様と交わることにより、その心に清さが増し、愛が増し、正しさが増し、生活の中で人々からの信頼を得ることができ、その関係に平和と秩序を得ることができます。祈りや聖書を読むこと、賛美をささげることによって、イエス様との交わりを大切にしていきましょう

2010年11月15日(月)
モーニングメッセージ 〜かたくなな心〜

『あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。』ローマ人への手紙2章5節〜6節
神様の前に、かたくなな心、悔い改めない心を持つことは、ヤバい!マジでヤバい!神様の怒りを自分の身に積むことになってしまいます。
だから、聖霊様の導きの中に、柔らかい素直な心で神様の御言葉を聞き、悔い改めるべきは直ぐに悔い改め、神様の方へ向っていきましょう。そうすれば、神様の怒りではなく、神様の恵みを自分の身に積むことができます。

2010年11月14日(日)
モーニングメッセージ 〜熱心な祈り〜

『彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。』使徒行伝1章14節
イエス様が天に上って行かれた後、イエス様を目で見ることができなくなってしまった不安と恐れの中にいた弟子達が最初にしたことは、祈りです。それも熱心な祈りです。
私達も生活の中の様々な出来事により、不安や恐れを感じることがあるでしょう。そして、それらを娯楽でまぎらわしたり、それらから目をそらしたり、逃げたり、騒いだり、いろいろしてしまいます。しかし、ほとんどの場合、解決から遠のいてしまいます。だから、本日の聖書にあるように祈るべきです。ひたすら祈るべきです。

2010年11月13日(土)
モーニングメッセージ 〜人の光〜

『この言は命であった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中で輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。』ヨハネによる福音書1章4節〜5節
神様の言葉である聖書には、神様と共に生きる命があります。そして人の人生にキリストの光を灯して下さいます。そしてその光は世の中が暗くなればなるほど輝きを増します。そしてその光に勝てる者はありません。今日も聖書を読み、光の輝きを増して下さい。

2010年11月12日(金)
モーニングメッセージ 〜お言葉ですから〜

『シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。』ルカによる福音書5章5節
『しかし、お言葉ですから』と言ったペテロはこのあと、イエス様の弟子として激動かつ勝利の人生を歩みます。
人はそれぞれ自分の思うところに従って判断して生きています。しかし、本当の幸いは、イエス様の言葉に従うところにあるのです。「無理だなぁ〜、無駄だなぁ〜、無意味だなぁ〜」と思っても、イエス様が語られることに間違いはありません。「しかし、イエス様のお言葉ですから」で、進んでいきましょう。

2010年11月11日(木)
モーニングメッセージ 〜イエス様の家族〜

『そして、自分をとりかこんで、すわっている人々を見まわして、言われた、「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。』マルコによる福音書3章34節〜35節
本日の御言葉によると、誰でもイエス様の家族になる事ができます。条件は神様の御心を行う事。神様の御心は、@礼拝をささげ神様を愛することA神様との交わりの中に清められることB隣人を愛し平和に生きること。もちろん他にもあります。後は直接聖書を読んで、イエス様の家族に♪

2010年11月10日(水)
モーニングメッセージ 〜サタンよ退け!〜

『するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神のみに仕えよ』と書いてある」。』マタイによる福音書4章10節
本日の御言葉は、誘惑するサタンに対してのイエス様の宣言です。イエス様は今、一人一人に向かっても同じように宣言して、サタンを追い出し、神様を礼拝し、神様に仕える者となるように導いて下さいます。神様を礼拝し、神様に仕える道は、人にとって最高の道です。ハレルヤ♪ 

2010年11月9日(火)
モーニングメッセージ 〜予言と預言〜

『この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちは、さいわいである。時が近づいているからである。』ヨハネ黙示録1章3節
「予言」と「預言」は、どちらも「よげん」と読みますが、意味が違います。「予言」は人が未来の事を予測して語る言葉です。「預言」は神様が人類に向かって語る言葉です。そして今も神様は聖書を通して「預言」して下さっています。だから、聖書を朗読し、その御言葉一つ一つを行っていくところに幸があります。ハレルヤ♪

2010年11月8日(月)
モーニングメッセージ 〜すべきこと その2〜

『神の愛の中に自らを保ち永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。』ユダの手紙21節
本日の御言葉は、昨日の続きです。そして本日も神様を信じる者が為すべきことが3つ記されています。@神の愛の中に自らを保つ→神様に愛されていることを信じ、神様を愛し、隣人を愛する。A永遠のいのちを目あてとして→天国を目指す者として生きる。B主イエス・キリストのあわれみを待ち望む→全てをイエス様に期待して進む。ハレルヤ♪

2010年11月7日(日)
礼拝メッセージ 〜キリストのうちにとどまる〜

『そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。』ヨハネの第一の手紙2章28節

〜キリストのうちにとどまる〜

イエス様を救い主と信じる者は、神様の子とされています。そして神様の子であるなら、キリストのうちにとどまっていくべきです。で、どうとどまればよいのでしょうか?3つあります。第一は「信仰にとどまる・信仰に立つ」です。信仰に立つとは、仕事、勉強、経済、健康など、生活の全ての事に神様に介入していただくことです。以前、ある教会の先生のもとに、船会社の社長から献金をささげたいとの申し出がありまた。先生は副牧師と共に、その会社を訪れた。すると、ちょうど、先生が訪れた時に、その会社の船が沈没して会社全体がパニック状態になっていました。先生が帰ろうとした時、その社長さんが「先生、待って下さい。献金をお渡しします」と。先生は「今大変な時だからまた今度に」と。するとその社長さんは「大変な時だからこそ神様が必要なんです。献金します」と。その社長さんは仕事の大変な問題に対して、神様に介入していただくことを選びました。その会社は見事にその問題を解決し、同時に大きな信頼を得ることができました。信仰に立って全ての事に、神様に介入していただきましょう。
キリストにとどまるの第二は「神様の愛にとどまる」です。まず神様に愛されていることをいつも思って下さい。前にも言いましたが「人は愛されることによって安心し、愛する事によって満足します」。神様に愛されている事を思う時、安心があります。そして神様を愛して思いっきり賛美し神様との交わりの中に自分を置く時、その生活に満足がわいてきます。さらに、もう一つ、神様の愛をもって隣人を愛していくならば、満足に平和が付いてきます。
キリストにとどまるの第三は「神の言葉にとどまる」です。毎日聖書を読んでいますか。聖書を読み、御言葉にとどまり、御言葉通りに進む時、そこに恵みがあります。「従うところに恵みあり」です。アブラハムもイサクもヤコブもダビデも神様の御言葉に従い大いなる恵みを受けました。私達も同じです。聖書の言葉にとどまるならば、恵みは必ず与えられます。そしてその恵みは必ず私達を幸せにします。また、御言葉にとどまる時、正しく清く生きることができる。当然、平和と秩序のある生活を送る事ができます。
神様の子として、信仰にとどまり、愛にとどまり、御言葉にとどまっていき、あの世においてもこの世においても恥じることのない人生を歩んでゆきましょう。ハレルヤ♪

2010年11月7日(日)
モーニングメッセージ 〜すべきこと〜

『しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、もっとも神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り、』ユダの手紙20節
本日の御言葉には、神様を信じる者が為すべきことが2つ記されています。@神聖な信仰の上に自らを築き上げる→神様と自分の間に何も入れない信仰をもって生きる事。A聖霊によって祈る→聖霊様の導きの中に祈る。ちなみに聖霊様は私達を祈りに導かれます。さらに神様の御心にそった事を願い求められるように導かれます。明日へ続く

2010年11月6日(土)
モーニングメッセージ 〜恵まれた魂〜

『愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。』ヨハネの第三の手紙2節
あなたの魂は恵まれていますか?神様と結びつくことにより魂は恵まれます。神様と結びつくにはイエス様の十字架の贖いを信じ、受け入れ、感謝していくことです。
そして魂が恵まれることにより、心も体も生活も恵まれます。だから、今日もまずは神様と結びついていきましょう。ハレルヤ♪

2010年11月5日(金)
モーニングメッセージ 〜あわれみと平安〜

『父なる神および父の御子イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安とが、真理と愛のうちにあって、わたしたちと共にあるように。』ヨハネの第二の手紙3節
神様からの恵みとあわれみと平安を受けたら、幸せでないはずかない。恵みにより豊かになり、あわれみにより励まされ、平安により安心を得ることができます。今日も神様からの恵みとあわれみと平安が豊かに注がれるよう祈っていきましよう♪

2010年11月3日(水)
モーニングメッセージ 〜闇〜

『わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。』ヨハネの第一の手紙1章5節
人は誰でも暗い闇の部分があります。身体に闇、心に闇、生活に闇、人間関係に闇などなど。一方、神様は少しの闇もない光そのものです。そしてその光である神様は一人一人の闇を照らし、闇を取り除き、救いの光を与えて下さいます。そして、輝かせて下さいます。ピカッ!

2010年11月2日(火)
メッセージメール 〜聖霊様〜

『この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。』エペソ人への手紙1章14節
聖霊様は日々の生活において様々な助けや導きや教えを与えて下さいます。そして、それだけではなく、一人一人が神様をほめたたえ、神様に栄光をお返しする事(簡単に言うと→神様を喜ばせ楽しませる事)ができるようにして下さいます。 

2010年11月1日(月)
モーニングメッセージ 〜愛とは〜

『愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。』コリント人への第一の手紙13章4節
コリント人への第一の手紙13章には、愛とは何かが記されています。それも神様の人に対するを愛が記されています。
神様は今日も寛容の愛、情深い愛をもって一人一人を愛しています。ハレルヤ♪

2010年10月31日(日)
モーニングメッセージ 〜聖霊様が宿る〜

『これはあなたがたがエジプトから出た時、わたしがあなたがたに、約束した言葉である。わたしの霊が、あなたがたのうちに宿っている。恐れるな。』ハガイ書2章5節
イエス様の十字架の贖いにより、聖霊様が私達のうちに注がれ、宿るようになりました。聖霊様が宿ることにより、聖書の御言葉を深く悟ることができ、幸せの方へ導かれ、神様にあっての希望を持って生きることができるのです。だから、恐れないで前に進むことができます。ハレルヤ♪

2010年10月30日(土)
モーニングメッセージ 〜信じる者はもれなく〜

『だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。』使徒行伝13章38節〜39節
本日の御言葉の『信じる者はもれなく』っていうのが「全員にプレゼント」みたいな感じでいいですね〜♪そして神様の前に義とされるという恵みは、信じるだけで与えられるプレゼントです。いいですね〜♪信じて、この義とされる恵みを味わって感謝していきましょう。ハレルヤ♪

2010年10月29日(金)
モーニングメッセージ 〜自身の確信〜

『愛する者たちよ。それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。』ペトロの第二の手紙3章17節
今、クリスチャン一人一人には、イエス・キリストによって与えられている確信があります。天国に行ける確信、神様に愛され恵まれる確信、イエス様に癒され清められる確信、聖霊様に教えられ導かれる確信。そしてこれらの確信には素晴らしい報いがあります。これらの確信を失う事がないように、益々主に向かって進んでいきましょう♪ハレルヤ♪

2010年10月28日(木)
モーニングメッセージ 〜大いなる神〜

『すべてあなたを尋ね求める者は/あなたによって喜び楽しむように。あなたの救を愛する者は/つねに「神は大いなるかな」ととなえるように。』70篇4節
神様を信じ、神様を慕い、神様を愛する者は、毎日「神は大いなるかな」と宣言していきましょう。そうすれば、実際に神様による大いなる御業が一人一人の生活の中に現れてきます。ハレルヤ♪

2010年10月27日(水)
モーニングメッセージ 〜良い交流〜

『鉄は鉄をとぐ、そのように人はその友の顔をとぐ。』箴言27章17節
本日の御言葉は、「人は誰かと関わり、交わりをもつことによって、成長できる」ということを表しています。いろいろな人と良い交流をもって良い成長を!

2010年10月26日(火)
モーニングメッセージ 〜破れを繕う〜

『あなたの子らは久しく荒れすたれたる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と/呼ぶようになる。』イザヤ書58章12節
人は誰でも一つや二つは破れ(弱さ)があります。私は五つか六つあります。
その破れを繕って下さるのは、イエス様です。ハレルヤ♪

2010年10月25日(月)
モーニングメッセージ 〜真実な存在〜

『しかし、主は真実なかたであるから、あなたがたを強め、悪しき者から守って下さるであろう。』テサロニケ人への第二の手紙3章3節
100%真実な存在は神様だけです。嘘、偽善、建前がなく、真心をもって人に関わって下さいます。その神様が一人一人を強め、様々な悪から守って、正しく明るく平和に生きられるようにして下さいます。ハレルヤ♪

2010年10月24日(日)
モーニングメッセージ 〜神様からの祝福〜

『主によって喜びをなせ。主はあなたの願いをかなえられる。』詩篇37篇4節
「笑う門には福来たる」ということわざがありますが、本日の御言葉もこれとちょっと似た感じです。
神様を喜び、神様によって生きる事を喜んでいく時、神様が一人一人の心の願いをかなえて下さいます。神様からの福(祝福)が届きます。ハレルヤ♪

2010年10月23日(土)
モーニングメッセージ 〜神の愛の中に〜

『神の愛の中に自らを保ち永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。』ユダの手紙21節
神様は一人一人を愛しておられます。その事実をしっかりと受けとめ、神様に愛されている者として神様を愛して生きる事が、「神の愛の中に自らを保つ」と言う事です。 
今日も神様はあなたを愛しています。ハレルヤ♪

2010年10月22日(金)
モーニングメッセージ 〜相手の立場に立って考える〜

『おのおの、自分のことばかりではなく、他人のことも考えなさい。』ピリピ人への手紙 2章4節
こどもの頃、「相手の立場に立って考えろ!」と叱られた事があります。しかし、当時の私は自分の事でいっぱいで、相手の事など考えられませんでした。今でも多少その傾向がありますが、聖書を通して神様が語っておられるのだから、他人のことも考えるようにしたいと思います。ちなみに「他人」とは、自分にとって大切な人だけではありません。ガンバロー!

2010年10月21日(木)
モーニングメッセージ 〜最も素晴らしい影響〜

『もろもろの国よ、近づいて聞け。もろもろの民よ、耳を傾けよ。地とそれに満ちるもの、世界とそれから出るすべてのものよ、聞け。』イザヤ書34章1節
人は日々の生活の中で、様々な情報を耳にします。そして、その心に様々な影響を受けます。
人にとって、最も素晴らしい影響を与える情報は神様の言葉です。今日も聖書を開いて下さい!

2010年10月20日(水)
モーニングメッセージ 〜神様の所有物〜

『ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。』イザヤ書43章1節
本日の御言葉は、神様が信じる一人一人に向かって語った言葉です。神様は名前を呼んで個人的に関わりを持って下さり、また、一人一人をご自分の所有物として、大切にして下さいます。ハレルヤ♪

2010年10月19日(火)
モーニングメッセージ 〜神様の宝〜

『万軍の主は言われる、彼らはわたしが手を下して事を行う日に、わたしの者となり、わたしの宝となる。たま人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。』マラキ書3章17節
神様はイエス様をこの地上に送り下さり、事を行ってくださいました。
そして、イエス様の十字架と復活によりあがなわれ、私達は神様の宝となりました。感謝です。ハレルヤ♪

2010年10月18日(月)
モーニングメッセージ 〜昼の者〜

『しかし、わたしたちは昼の者なのだから、信仰と愛との胸当てを身につけ、救いの望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。』テサロニケ人への第一の手紙5章8節
本日の御言葉の『昼の者』とは、キリストの光に照らされて生きている者の事です。そしてそのような者は信仰と愛と希望を持って生きる事ができます。この3つは神様が与えて下さった目に見えない恵みです。目には見えませんが、この3つの恵みは、私達の生活に素晴らしい影響を与え、幸いを見させてくれます。ハレルヤ♪

2010年10月17日(日)
モーニングメッセージ 〜堅く立つ〜

『兄弟たちよ。それによって、わたしたちはあらゆる苦難と患難との中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められた。なぜなら、あなたがたが主にあって堅く立ってくれるなら、わたしたちはいま生きることになるからである。』テサロニケ人への第一の手紙3章7節〜8節
パウロは苦難と患難の中にいましたが、テサロニケの人々の信仰によって慰めを受けました。さらに彼らが堅く立ってこの信仰の道を歩むことによって、生きる希望が湧いてきました。私達が堅く立って信仰の道を歩む時、それによって誰かを慰め、励ます事ができるのです。ちなみに、各教会の牧師は信徒一人一人の信仰による歩みによって、マジで慰めや励ましを得ています。ハレルヤ♪

2010年10月16日(土)
モーニングメッセージ 〜患難の先の勝利〜

『このような患難の中にあって、動揺する者がひとりもないように励ますためであった。あなたがたの知っているとおり、わたしたちは患難に会うように定められているのである。』テサロニケ人への第一の手紙3章3節
聖書の中にはあまり嬉しくない御言葉もあります。本日の御言葉もその一つです。『わたしたちは患難にあうように定められている』。しかし、キリスト者の人生は患難で終わる人生ではありません。患難の先に勝利があり平安があり祝福があります。だから、希望をもって生きる事ができます。ハレルヤ♪

2010年10月15日(金)
モーニングメッセージ 〜先頭に立つ〜

『打ち破る者は彼らに先だって登りゆき、彼らは門を打ち破り、これをとおって外に出て行く。彼らの王はその前に進み、主はその先頭に立たれる。』ミカ書2章13節
イエス様は一人一人の人生において、先頭に立って下さいます。そして盾となり一人一人を守って下さいます。さらに正しい平和な道に導いて下さいます。今日もイエス様の後についていきましょう!

2010年10月14日(木)
モーニングメッセージ 〜パウロの祈り〜

『あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。』エペソ人への手紙1章18節〜19節
本日の御言葉はパウロの祈りです。その中で特に『あなたがたの心の目を明らかにして下さるように』を心にとめていただきたい。心の目が明らかでないと、何が正しいのか悪いのか、何が神様の御心なのか、何が神様に喜ばれる道なのかが分からなくなってしまいます。だから、今日も心の目を明らかになるよう祈り求めて下さい。

2010年10月13日(水)
水曜集会 〜賛美と感謝〜

本日は詩篇65篇が開かれました。この詩篇は「賛美と感謝」という題がついています。そして一節に『神よ、シオンにて、あなたをほめたたえることはふさわしいことである。』と記されています。現代のシオン(神の都)である教会において、神様をほめたたえることは、何よりも大切な事です。教会といっても、建物ではありません。聖書においての教会はイエス様を救い主と信じる者たちの集まり自体を指しています。だから、信じる一人一人が教会であり、一人一人が神様をほめたたえることが大切になってきます。
9節『・・・神の川は水で満ちている・・・』こと一節は何だか嬉しくなる御言葉です。水というのは、@洗い清める働きがあります。神様は私達の罪や悪を何度でも洗い清めて下さいます。そして神様と正しい関係にして下さいます。A流す働きがあります。私達の人生における失敗や悲しい出来事、辛い思いでなどを流して下さいます。B満たし潤す働き働きがあります。一年のうちで一番人の心が渇くのは秋であると言われています。だから、その渇きを満たす為に「読書の秋」「食欲の秋」「スポーツの秋」「芸術の秋」などの言葉が生まれてきたのだと思います。結局のところ、真に心の渇きを満たし潤して下さるのは神様です。神様の川は私達を満たす水で満ちています。そしてその川は信じる一人一人に流れてきます。「渇く秋」から「潤される秋」に♪

2010年10月13日(水)
モーニングメッセージ 〜心が貧しい人〜

『こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。』マタイによる福音書5章3節
「心が貧しい」という言葉にはマイナスイメージがありますが、これは、自分の心に愛や清さ、正しさや強さが少なかったり、無かったりする事を認めるという事であります。認めるいく時、天国(神様の恵み)が与えられ、その心も神様の愛や清さ、正しさや強さを受けられます♪ハレルヤ♪

2010年10月12日(火)
モーニングメッセージ 〜イエス様のように〜

『「彼におる」と言う者は、彼が歩かれたように、その人自身も歩くべきである。』ヨハネの第一の手紙2章6節
彼とはもちろんイエス様です。イエス様を信じ、イエス様のうちにとどまりたいと願う者は、イエス様が歩まれたように歩むように教えています。ではイエス様はどのように歩まれたのでしょうか?@神様を愛する歩み→神様を礼拝し、神様の御言葉に従う。A隣人を愛する歩み→関わる人の存在を大切にして平和を造り出す。BC…は聖書から直接教えられて下さい。

2010年10月11日(祝・月)
モーニングメッセージ 〜イエス様に繋がる〜

『わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。』ヨハネによる福音書15章4節
本日の御言葉にはイエス様と私達人間との関係が記されています。イエス様がぶどうの木で、私達人間が枝です。そして、木であるイエス様は私達を切り離そうとは決してしません。逆につながっている事を願い、『つながっていなさい』と声をかけていて下さいます。そして、私達がつながっていくならば、実を結ぶことができるように栄養も知恵も力も勇気も与えて下さいます。ハレルヤ♪

2010年10月10日(日)
モーニングメッセージ 〜神をほめたたえる〜

『イスラエルの神、主は/とこしえからとこしえまでほむべきかな。アァメン、アァメン。』詩篇41章13節
本日の聖書の御言葉は、私の地上での生涯が終わって天国に召される時に語りたい御言葉です。だから、この地上において、めェーいっぱい神様をほめたたえていきたいと思っています。ハレルヤ♪

2010年10月9日(土)
モーニングメッセージ 〜強くなれ〜

『天上にあり地上にあって「父」と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように』エペソ人への手紙3章15節〜16節
スポーツでもゲームでも勉強でも、強いと勝つ事ができます。そして、強くなるには、多くの経験や訓練や努力が必要です。
神様は聖書を通して『強くなりなさい』と語っております。なぜでしょうか?それは「悪魔に勝つ為です」。悪魔は私達を神様から離して、無秩序と混乱と不幸に陥れよようとしてきます。だから、悪魔に勝って、幸せの源である神様のおそばを信仰をもって歩んで行きましょう!
その為に、本日の御言葉通りに、「内なる人を強くしてください」と祈って行きましょう。聖書に書いてある祈りは基本全てが神様の御心に添ったものです。だから、私達の内なる人が強くなるのは神様の御心なのです。このまんま祈って、強くなって行きましょう♪

2010年10月7日(木)
モーニングメッセージ 〜隣人の為〜

『するとその弱い人は、あなたの知識によって滅びることになる。この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。』コリント人への第一の手紙8章11節
イエス様は聖書を通して、神様を愛する事と隣人を愛する事を命じておられます。そして、目に見える隣人に対して、実際にどのような思いを持つべきかを本日の御言葉は教えています。
人は自分と違う価値観や習慣を持つ者に対して、不快を感じ、否定しようとします。当然、イエス様のご命令から離れてしまいます。だから、その自分と違う隣人の為にも、イエス様は十字架にかかって下さった事を認め信じるべきです。そうすれば、自然と愛する道を歩めるようになっていきます。ハレルヤ♪

2010年10月6日(水)
モーニングメッセージ 〜十字架〜

『さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。』ペテロの第一の手紙2章24節
イエス様は十字架にかかって、傷つき、血を流し、命まで捨てて下さいました。当然、尋常ではない痛みや苦しみを味わわれたのだと思います。そしてそれは罪の中に心も体も魂も病に侵されている人々が癒される為です。イエス様の血潮が、一人一人の心も体も魂も癒して下さいます。ハレルヤ♪

2010年10月5日(火)
モーニングメッセージ 〜安全な道〜

『あなたの足の道に気をつけよ、そうすれば、あなたのすべての道は安全である。』箴言4章26節
人の歩む道(人生)には、様々な誘惑や多くの悪があります。それらに心を引かれ陥ると、自分が本来進むべき道から迷い出て危険と隣り合わせの道を歩む事になってしまいます。
だから、神様の声を聞いて、神様に向かう確かな安全な道を歩んでいきましょう。ハレルヤ♪

2010年10月4日(月)
モーニングメッセージ 〜言い張る罪〜

『イエスは彼らに言われた、「もしあなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが『見える』と言い張るところに、あなたがたの罪がある。』ヨハネによる福音書9章41節
イエス様は『「見える」と言い張るところに、あなたがたの罪がある』と語られました。「自分には罪がない、自分には弱さがない、自分は大丈夫」と言い張るところには、的外れ(罪)が生じ、神様の恵み、守り、助けが見えなくなってしまいます。
過信することなく、神様の前にへりくだって、いつも神様の恵み、守り、助けの中に歩んでいきましょう。ハレルヤ♪

2010年10月3日(日)
礼拝メッセージ 〜主を喜ぶこと〜

『そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。』ネヘミヤ記8章10節
聖書(特に旧約聖書)を読んでいて、耳慣れ御言葉や賛美の歌詞になっている御言葉が出てくると何だか嬉しくなります。本日の御言葉もその一つです。『主を喜ぶことはあなたがたの力です。』これは「主イエスを喜ぶことはあなたの力です♪」の賛美のもとになった御言葉です。実は、この賛美は私達の教会の賛美を変えた一曲です。以前は聖歌と賛美歌をしっとり歌っていましたが、この賛美を手拍子で歌った時、心が熱くなって、楽しくなって、元気になりました。今では聖歌や賛美歌を歌う時も元気になっています。 

この本日の御言葉は預言者ネヘミヤとエズラがイスラエルの民に語ったものです。当時のイスラエルの民は、回復の第一歩を踏み出したばかりの状態でした。イスラエルの民は偶像礼拝をして神様から離れ、神殿も城壁も壊され、民は散り散りになっていました。しかし、神様は預言者を遣わし、神殿の回復、城壁の回復、そして何より民の信仰の回復を行って下さいました。
本日の御言葉が語られた時、イスラエルの民は全員広場に集まり、預言者エズラの読む律法(神様の言葉)に耳を傾けていました。その律法を聞いた民は、自分達の罪、神様から離れた生活、神様を悲しませていた行動を責められ、嘆き、悲しみ、涙をながしました。 
「神様の御言葉(聖書)は一人一人を映す鏡である」と言われています。私達も日々聖書を開いて、神様から離れている生活や思いや考えがあるかないかを見つめて下さい。人は流されやすいものです。世の中、友人、自分の欲に流されがちです。そして神様の愛、ゆるし、恵みが自分内で薄くなってしまう事があります。だから日々聖書を読む事が大切です。
イスラエルの民の話に戻ります。嘆き悲しんでいた民に向かって、ネヘミヤとエズラは『肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい』と語りました。これらを食べ飲むことによって強められ元気を回復しました。
実はこの『肥えたもの』とはイエス様のお体を表し、『甘いのみもの』とはイエス様の血潮を表しています。要はイエス様の十字架のあがないを表していて、それによって、信仰を立て直し、心も体も魂も元気にするようにとのメッセージが隠されています。 
さらにそのイエス様のあがないを受け入れた者は、『主を喜ぶ』事を勧めています。神様を喜び礼拝する。神様の御言葉を喜んでいく。神様の恵みを喜び楽しむ。そのようにしていく時、私達は様々な力を受けます。
まず信仰の力です。この信仰の力によって、神様の存在を強く感じ、神様の恵みに生きることができますり。次に愛の力です。神様に愛され、神様を愛する力。また隣人を愛する力が与えられ、平和と喜びと楽しみが広がります。さらに聖霊の力も与えられ、希望のある人生を歩む事ができます。
イエス様の十字架のあがないを信じて、神様を大いに喜び、力のある信仰生活を送っていきましょう。ハレルヤ♪

2010年10月3日(日)
モーニングメッセージ 〜五千人の給食〜

『弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子どもがいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。』ヨハネによる福音書6章8節〜9節
本日の聖書は、五千人の給食のところです。五千人に食事を用意するのに、その時あったのは少年が持ってきた大麦パン5つと魚2匹。弟子のアンデレはそれをイエス様の所に持って来ました。そして、「それが何になりましょう」と言いました。アンデレの思いの中に、「こんなちっぽけな弁当、何の役にも立たない」と言うのがありました。しかし、イエス様はそのちっぽけなものを用いて、五千人の給食の奇跡を行いました。
人は、自分自身を、また、友人や家族をちっぽけなものと思ってしまう時があります。しかし、イエス様はそのような人を用いて、奇跡を行います。ハレルヤ♪

2010年10月2日(土)
モーニングメッセージ 〜信仰を見せる〜

『しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。』ヤコブの手紙2章18節
信仰は行いによって見せることができます。霊と真とをもって礼拝をささげることによって、神様の存在を認める信仰を見せることができます。隣人を愛する事によって、愛を生み出す信仰を見せることができます。全力を尽くして神様の業に励む時、その行動と情熱で信仰を見せることができます。ハレルヤ♪

2010年10月1日(金)
モーニングメッセージ 〜生活で役立つ教え〜

『愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。』ヤコブの手紙1章19節
新約聖書の手紙には、日々の生活で直接役立つ教えが、数多く記されています。本日の御言葉もその一つ。@聞くに早く→特に神様の御言葉を素早く聞いて、すぐに従って行きましょう。A語るにおそく→うわさ話や誰かの悪口など不確かな事はベラベラしゃべらないように!しかし、真実な言葉である神様の言葉は積極的に語って行きましょう。B怒るにおそく→怒りは良いものを壊して行きます。平和な関係、頑張ろうとする思い、大切なもの、真に為すべき事などを壊して、残念を広げてしまいます。
神様の教え通りに進んで、生きて行きましょう。ハレルヤ♪

2010年9月30日(木)
モーニングメッセージ 〜信仰者が求めるべきもの〜

『すべて主の命令を行うこの地のへりくだる者よ、主を求めよ。正義を求めよ。謙遜を求めよ。そうすればあなたがたは主の怒りの日に、あるいは隠されることがあろう。』ゼパニア書2章3節
信仰者が求めるべきものは、神様と正義と謙遜です。これによって、この世の終わりに裁かれることなく、天国へ携え上げられます。さらに、神様と正義と謙遜を求めて行くならば、日々の歩みの中にも、信仰が増し、真実が広がり、恵みが注がれます。ハレルヤ♪ 

2010年9月29日(水)
モーニングメッセージ 〜イエス様と共に生きる〜

『このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい』コロサイ人への手紙2章6節
イエス様を自分の救い主として信じた人は、毎日イエス様と共に生きて行こう。イエス様の愛を受けとめて、イエス様の正しさを見習い、イエス様の清さを求めて生きて行こう。イエス様と共に生きる人生に、神様のしるしと不思議と奇跡が現れてきます。ハレルヤ♪

2010年9月28日(火)
モーニングメッセージ 〜慈しみと憐れみ〜

『しかし、わたしはこの事を心に思い起す。それゆえ、わたしは望みをいだく。主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。』哀歌3章21節〜22節
神様の御言葉は、一人一人の人生に希望を与えます。だから、日々、聖書を読み、その御言葉を思い起こして行きましょう。特に本日の御言葉『主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。』は、覚えて、実際に口で宣言して行きましょう。希望が湧き、さらに神様の慈しみと憐れみが一人一人の生活に豊かに現れてきます。ハレルヤ♪

2010年9月26日(日)
モーニングメッセージ 〜自分の全てを明け渡す〜

『われわれは天にいます神にむかって、手と共に心をもあげよう。』哀歌3章41節
神様に向かって手も心も上げるとは、自分の全てを明け渡し、神様の絶対的な権威を認め、神様をほめたたえ、神様に委ねて生きて行く事です。神様は責任をもって一人一人を導き守って下さいます。ハレルヤ♪

2010年9月25日(土)
モーニングメッセージ 〜神様の癒しや慰め〜

『「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。』ホセア書6章1節
私は本日の御言葉を読んで「癒すぐらいなら、引き裂かないでよ!」「包むぐらい、打たないでよ!」と思いました。
しかし、神様は意味なく、引き裂いたり、打ったりはしません。
私達は引き裂かれたり、打たれたりする経験によって、砕かれ、清められ、強められていきます。
そして、神様の癒しや慰めも同時に受ける事ができます。ハレルヤ♪

2010年9月24日(金)
モーニングメッセージ 〜ごまかし〜

『また、悪魔に機会を与えてはいけない。』エペソ人への手紙4章27節
パソコンで「ごまかし」と入力して変換すると「誤魔化し」と出てきました。 「誤って悪魔に化けてしまう」みたいな感じですが、自分の気持ちをごまかして生きていると、後悔と残念が心に残ります。
隣人をごまかして生きていると、信頼と平和を失います。
神様をごまかして生きていると、愛と恵みを失います。
そして、幸せに逆行する悪魔に化けてしまうのではないでしょうか!
「ごまかし」ではなく「真実」に生きて行きましょう♪ハレルヤ♪

2010年9月23日(木)
モーニングメッセージ 〜主の言葉を聞く〜

『ヨシャパテはまたイスラエルの王に言った、「まず、主の言葉を伺いなさい」。』1:列王紀上22章5節
何かを始める時に、まず神様が何と言っているのかを聞く事が大切です。
しかし、神様が何と言っているのかが分からない人が多い。だから日ごろから聖書に親しんで下さい!時々に神様の力強い導きを受け取る事ができます。ハレルヤ♪

2010年9月22日(水)
モーニングメッセージ 〜心を開く〜

『人と交わりをしない者は口実を捜し、すべてのよい考えに激しく反対する。』箴言18章1節
神様の言葉、神様の導き、神様の愛に、自分の心を閉ざす者は、人を真に幸せにする神様の優れた知性と対立してしまいます。
逆に、心を開いていくならば、優れた知性と仲良くできて、マジで幸せになります!ハレルヤ♪

2010年9月21日(火)
モーニングメッセージ 〜進むべき道〜

『その所で彼はほら穴にはいって、そこに宿ったが、主の言葉が彼に臨んで、彼に言われた、「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。』列王紀上19章9節
神様は聖書の御言葉を通して、人が本来進むべき道を示して下さる。
それだけではなく、人が道をそれた時に、気が付けるように、声をかけて下さいます。
「何をしているのか?」 ハレルヤ♪

2010年9月20日(月)
モーニングメッセージ 〜確かめる〜

『われわれは、自分の行いを調べ、かつ省みて、主に帰ろう。』哀歌3章40節
自分の歩んでいる道が正しいのか間違っているのか調べる事は大切です。自分では正しいと思っていても、神様から離れてしまったり、人を傷つけたり悲しませている事もあります。だから、自分の道を聖書の御言葉と照らし合わせて調べる事が大切です。そして、神様の方に立ち返って生きて行きましょう。ハレルヤ♪

2010年9月19日(日)
モーニングメッセージ 〜神様の言う通りに〜

『あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。』伝道の書11章1節
この御言葉を最初に読んだ時、魚に餌をあげるのかなぁ〜と思いました。(アホな牧師ですみません)。で、本当の意味は、「無駄と思われる事でももったいないなぁ〜と思われる事でも神様が言うなら行動する」っていう事です。さらに「その行動が後に素晴らしい形で現れてくる」と語っています。神様に期待して、神様の言う通りに♪

2010年9月18日(土)
モーニングメッセージ 〜力と愛と慎みの霊〜

『というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。』テモテへの第二の手紙1章7節
神様が私たちに与えて下さるものはいろいろあります。その中で、日々の生活において雄々しく歩む為のものがあります。それが『力と愛と慎みの霊』です。信仰の力によりどのような道でも前に進む事ができます。愛によって平和に生きる事ができます。慎み(謙遜)によって神様の恵みに生きる事ができます。これらの素晴らしい霊が今日も神様から注がれます。ハレルヤ♪

2010年9月17日(金)
モーニングメッセージ 〜愛を求めよ〜

『愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。』コリント人への第一の手紙14章1節
人はお金を求めたり、名誉を求めたり、快楽を求めたり、いろいろなものを求めます。もちろんそれはけっして悪い事ではありません。求める気持ちがあるから、努力も我慢も工夫もするからです。何を求めても良いのですが、真の幸せを手にしたいのならば、神様の言う通りに、愛を追い求めて行きましょう。神様を愛する事、自分を愛する事、隣人を愛する事を求めて歩んで下さい。ハレルヤ♪

2010年9月16日(木)
モーニングメッセージ 〜神様の近くに〜

『しかし神に近くあることはわたしに良いことである。わたしは主なる神をわが避け所として、あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。』詩篇73篇28節
あなたの幸せを真剣に考え、その為に全力を尽くしてくださる存在は誰でしょう?それは神様です。その証拠に、御子イエス様の命をあなたの身代わりとして、あなたの罪を消し去り、あなたの魂を救い、神様に近く生きる事ができるようにして下さいました。今日も神様の近くを生き、幸せを味わってまいりましょう。ハレルヤ♪ 

2010年9月15日(水)
モーニングメッセージ 〜内なる力〜

『どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、』エペソ人への手紙3章16節
私達は、内なる人が強くされることによって、悪魔(サタン)に負けない信仰、悪の誘惑になびかない正しい心、困難や迫害に立ち向かう精神を持つ事ができます。聖霊の力により強くされて行きましょう。ハレルヤ♪

2010年9月14日(火)
モーニングメッセージ 〜命の光〜

『イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。』ヨハネによる福音書8章12節
私は外出する時、必ず、家のカギと財布と携帯と万歩計と命の光を持って行きます。その一つ一つが私の歩みを助け支え守り楽しませてくれます。
特にイエス様にいただいた「命の光」は私の心を照らし、明るく元気にしてくれます。ハレルヤ♪

2010年9月13日(月)
モーニングメッセージ 〜人の手のわざ〜

『人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。』箴言12章14節(新共同約)
私達の手には様々な事をする力が与えられています。仕事、勉強、家事、育児、さらに誰かを助けたり、支えたり、手伝ったりする力が与えられています。それを行う事により、良いものを得る事ができます。特に隣人の為に行う時、心に喜びと満足という報いを神様が与えて下さいます。ハレルヤ♪

2010年9月12日(日)
モーニングメッセージ 〜自分の口で〜

『人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。』箴言12章14節
私達は自分の口を用いて、神様に賛美をささげて行く時、神様の良いもの(恵み)に満たされます。また、自分の口を用いて、神様の御言葉を宣言して行く時、その心が勇気と元気に満たされます。ハレルヤ♪

2010年9月11日(土)
モーニングメッセージ 〜いのちの道を選ぶ〜

『あなたはまたこの民に言いなさい、『主はこう仰せられる、見よ、わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く。』エレミヤ書21章8節
神様は全ての人の前に、いのちの道と死の道を置かれています。そして、選択権は私達の側にあります。そして、その選択には責任と報いが伴います。 
今、イエス様を信じて、いのちの道を選んで歩んでまいりましょう。この道には、心と体と魂の祝福という報いが伴ないます。ハレルヤ♪ 

2010年9月10日(金)
モーニングメッセージ 〜受け止める〜

『われわれは良くても悪くても、われわれがあなたをつかわそうとするわれわれの神、主の声に従います。われわれの神、主の声に従うとき、われわれは幸を得るでしょう」。 』エレミヤ書42章6節
神様は私達に様々な御言葉を語って下さいます。心が慰められるような御言葉、元気になるような御言葉、心に痛い御言葉、「そりゃないぜ!」と思う御言葉、「自分には無理!」と思う御言葉などなど。ちなみに神様は私達の全てを知っていて、私達にできない事は、お命じになりません。だから、神様からの御言葉は、全てそのまま受け止めて、従ってまいりましょう。そして幸せになって行きましょう。ハレルヤ♪ 

2010年9月9日(木)
モーニングメッセージ 〜満ちている〜

『あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、これを大いに豊かにされる。神の川は水で満ちている。あなたはそのように備えして/彼らに穀物を与えられる。』詩篇65篇9節
神様は私達のうちに、聖霊の川を流して下さいます。そして、その聖霊の川は、愛の水で満ち、清き水で満ち、義の水で満ち、平和の水で満ちています。ハレルヤ♪

2010年9月8日(水)
水曜集会 〜苦悩の中での祈り〜

本日の朝の水曜集会は、詩篇55篇が開かれました。この詩篇はダビデの苦悩の中での祈りが記されています。厳しい状況の中にいたダビデの祈りは、現代に生きる私達も共感できる「心情」を見事に詠いあげています。特に6節の『わたしは言います、「どうか、鳩のように翼を持ちたいものだ。そうすれば、わたしは飛び去って安きを得るであろう。」』はどこかに逃げ出したくなる心情をよく表しています。実は私も年中そんな思いになります。しかし、実際、逃げても何の解決にもなりません。
結局、全ての解決は神様の所にあるのです。16節『しかしわたしが神に呼ばわれば、主はわたしを救われます。』今、神様に呼ばわるべきです。そして救い(神様の解決)を得るべきです。神様の解決は、自分自身も周りの人にも安心と喜びを与えます。
そして、この詩篇にはさらに私達の信仰生活に平安を与える素晴らしい御言葉が記されています。22節『あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。』
以前、ある牧師先生が現代のクリスチャンの問題点として次のような話をしていました。ある電車に一人のおばあさんが大きな荷物を持って乗ってきました。そのおばあさんは荷物を下ろすことなく終点で降りて行きました。他の乗客の誰もが「荷物を下せばいいのに」と思っていました。実はこのおばあさんと同じ事を現代のクリスチャンがしているという事です。イエス様を信じて天国行きの電車に乗っているのに、悩みや思い煩いの荷物をもったまま頑張っているのが現代のクリスチャンです。天国行きの電車には一人一人の荷物を預ける場所があります。その荷物をイエス様が何とかして下さり、一人一人に平安を与えて下さいます。さらにその電車の中で、私達一人一人が倒れないように支えて下さるのもイエス様です。
詩篇55篇を個人的に読んでみて下さい。そして神様の救い(解決)、イエス様による重荷の解消、平安を深く味わってみて下さい。ハレルヤ♪

2010年9月8日(水)
モーニングメッセージ 〜主をほめよ〜

『わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。』詩篇103篇2節
神様がイエス様をこの地に送って、私達にしてくださった救いの御業、癒し、聖霊の満たし、祝福、天国の約束などの良い事を忘れないで下さい!
忘れないだけでなく感謝して行きましょう。さらに深く大いなる恵みにあずかる事ができます。ハレルヤ♪

2010年9月6日(月)
モーニングメッセージ 〜救い〜

『わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る。』詩篇62篇1節
「救い」という言葉には「解決」という意味も含まれています。だから、私達は生活の中で様々な解決が神様から与えられます。
私達はぐたぐた文句を言わないで、信じて期待して行きましょう!ハレルヤ♪

2010年9月5日(日)
モーニングメッセージ 〜正しい者の道〜

『正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。』箴言4章18節
「正しい者=義人」とはイエス様の十字架の血潮により魂の救いをうけ、神様の前にゆるされた人の事です。そのような人の人生は輝きを増して行きます。自分の心に輝きが増し、自分の家庭に輝きが増し、自分の置かれている環境に輝きが増し、関わる人々にもキリストの光を輝かす事ができます。ハレルヤ♪

2010年9月4日(土)
モーニングメッセージ 〜天と地に満ちる〜

『主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。』エレミヤ書23章24節
私達が教会にいる時も、家にいる時も、職場や学校にいる時も、どこにいる時も神様はそこに満ちていて下さる。また、元気な時も、病気な時も、嬉しい時も、悲しい時も、楽しい時も苦しい時も、神様は一人一人の心に満ちていて下さる。今日も主と共に♪ハレルヤ♪

2010年9月3日(金)
モーニングメッセージ 〜万事を益となる〜

『神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。』ローマ人への手紙8章28節
本日の御言葉はクリスチャンがいつも覚えておくべき御言葉です。特に『万事を益となる』は心に刻んでおくべきです。
私達の信じる神様は万事を益として下さるお方です。今、病の中にいても、厳しい状況にあっても、問題や困難が山積していても、神様は一人一人の人生に益をもたらして下さいます。信じて期待して行きましょう。ハレルヤ♪

2010年9月2日(木)
モーニングメッセージ 〜勝利者〜

『世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。』ヨハネの第一の手紙5章5節
あなたはイエス様を神の子として信じていますか?
イエス様が神様と同じように全知全能のお方で、一人一人を愛して下さっている事を信じていますか?
信じているなら、あなたはすでに勝利者です。日々の生活の中に、神様の勝利を見る事ができます。ハレルヤ♪

2010年9月1日(水)
モーニングメッセージ 〜門〜

『そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。」』ヨハネによる福音書10章7節
イエス様は門です。イエス様と言う門を通って魂の救いを得、癒しを受け、聖霊で満たされ、祝福され、天国へ行くことができます。また日々の生活においても、イエス様を通して聞き、イエス様を通して見て行く時、信仰と愛に生きることができ、様々なマイナスはプラスに変わます。ハレルヤ♪

2010年8月31日(火)
モーニングメッセージ 〜命のパン〜

『イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。』ヨハネによる福音書6章35節
食べ物は身体の成長や維持や元気の為に大切なものです。私は食べ物が好きです。牛丼、かつ丼、天丼、うな重、焼き肉、唐揚げ、すし、プリン、モンブラン、ショートケーキ、食べ物の事を考えるだけでも元気になります。
食べ物も好きですが、イエス様は大好きです。それはイエス様は私の心の成長、維持、元気の為に、命のパン(生きるエネルギー)として、私のうちに来て下さるからです。イエス様は今日も明日も明後日も、私のそしてあなたの命のパンです。ハレルヤ♪

2010年8月30日(月)
モーニングメッセージ 〜死んでも生きる〜

『イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。』ヨハネによる福音書11章25節
本日の聖書は私の大好きな御言葉の一つです。特に『たとい死んでも生きる』という強引なフレーズがいいです。一般的には「死んだら終わり」です。しかし、イエス様を信じて行く者は「死んでも終わりではありません」。イエス様による圧倒的に回復があります。今、どの様な現実があろうが、イエス様を信じて行く時、キリストにある希望を持つ事ができます。ハレルヤ♪

2010年8月29日(日)
モーニングメッセージ 〜よみがえり〜

『イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。』ヨハネによる福音書11章23節
私達の信じるイエス様は実際に死に勝利し、よみがえって下さったお方です。これによって、私達が死に向かって生きるのではなく、天国という最高の希望に向かって生きる者にされました。 
だから、キリストの命をもって、上(神様)を向いて歩こう! 

2010年8月28日(土)
モーニングメッセージ 〜解放されている〜

『主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。』コリント人への第二の手紙3章17節

「自由」とは、「解放されている」という事です。だから、主の霊のあるところには、様々な解放があります。罪からの解放、病からの解放、悩みからの解放、悲しみからの解放、苦しみからの解放などなど。
そして、神様の救い、癒し、解決、助け、憐れみ、慰めの中に自由に生きる事ができます。
今日も一人一人の生活の中に、主の霊(聖霊様)を歓迎して行きましょう♪

祝福を祈ります!

2010年8月27日(金)
モーニングメッセージ 〜御業と恵み〜

『神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。』ローマ人への手紙2章6節

神は、私達の信仰による行いに、御業と恵みを持って報いて下さいます。
さらに、私達の愛の行いに、平和と慰めを持って報いて下さいます。

他にも神様に対して、周り人々に対しての行いに報いて、私達を幸せにして下さいます。ハレルヤ♪

2010年8月25日(水)
モーニングメッセージ 〜いのちと平安〜

『肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。』ローマ人への手紙8章6節

イエス様によって、聖霊様が私達に注がれ、その聖霊様が私達の生活に、いのちと平安を広げて下さいます。
だから、聖霊様を歓迎し、認め、感謝し、委ねて行きましょう♪
今日も主と共に♪

2010年8月23日(月)
モーニングメッセージ 〜キリスト(救い主)〜

『シモン・ペテロは答えて言った「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」』マタイによる福音書16章16節

イエス様は、キリスト(救い主)です。私達の魂を救い、神様と交流ができるようにして下さいました。
さらに、私達の心を救い、悲しみや憎しみや怒りを神様の平安で包んで下さいます。
さらに、私達の体を救い、生活の中で感じる痛みや苦しみを癒して下さいます。
イエス様は今日も一人一人の「キリスト(救い主)」です。今日もイエス様の素晴らしい救いを受けて生きて行きましょう♪
祝福を祈ります♪

2010年8月19日(木)
モーニングメッセージ 〜善を図り・平和に過ごす〜

『だれに対しても悪を持って悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。』ローマ人への手紙12章17節〜18節
聖書を通して神様が語られる事は、時として難しく感じることがあります。しかし、神様は私達ができない事を命じられません。逆にできるように知恵も力も与えて下さいます。
本日の御言葉も私達が行う事ができるものです。まず『善を図る』です。全ての事を悪意ではなく、善意に受けとめられるように、神様は私達の心に善意の思いを与えて下さっています。
次に『平和に過ごす』です。私達は生活の中で、私達の心の平和や人との平和を壊そうとする出来事がいろいろ起こります。しかし、神様との平和を握っているならば、それらの平和はいくらでも回復する事ができます。さらに新たな平和をつくり出す事もできます。そして平和に過ごすことができます。
今日も神様を信じて、御言葉を握って、進んでまいりましょう。ハレルヤ♪

2010年8月18日(水)
モーニングメッセージ 〜神様との平和〜

『このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。』ローマ人への手紙5章1節
私達信仰者は、「神様との平和」を持っています。これによって、神様に祈り求める事ができ、日々の歩みに必要な愛、知恵、忍耐、強さ、元気などが与えられます。
それらの神様の恵みによって、良い方向へ進む事ができます。
今日も「神様との平和」を使って、良い一を♪ハレルヤ♪

2010年8月17日(火)
モーニングメッセージ 〜神様のなさる美しい事〜

『神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。』伝道の書3章11節
イエス様を信じる信仰によって、全知全能の神様が私達の神様になりました。その神様が私達の人生に事を為して下さいます。そして、その為して下さる事は美しく素晴らしいものです。
私達が厳しい道、苦しい道を通る事があっても、神様が私達の神様である限り、必ず、美しく素晴らしい事を見せて下さいます。実際に、美しく素晴らしいものを獲得したり、美しく素晴らしい出来事が起こったり、自分自身が美しく素晴らしい存在になったり、とにかく幸せに近づく事ができます。
今日も神様が私達の神様です。神様のなさる美しい素晴らしい事を期待して下さい。ハレルヤ♪

2010年8月8日(日)
礼拝メッセージ 〜遊女ラハブ〜

『わたしたちはそれを聞くと、心は消え、あなたがたのゆえに人々は全く勇気を失ってしまいました。あなた方の神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。』ヨシュア記2章10節〜11節

〜遊女ラハブ〜

本日の聖書に出てくるラハブはエリコの町の娼婦(遊女)でありました。そして、イスラエルの民が神様のご命令の内にエリコを攻撃し、全滅させた時に、このラハブとその家族だけが救いだされました。ラハブという名前には「広い」という意味があり、ラハブは広く様々な情報を聞いていました。特に、イスラエルの民の行動について絶えず耳を傾けていました。そして、イスラエルの民の神が真の神である事を認め、信じ、恐れていました。
現代に生きる私達の生活の中にも様々な情報が入ってきます。その中には真実もあれば、虚偽もあります。自分にとって有益なものもあれば、有害なものもあります。私達も広く聞く必要がありますが、何よりもまず聞くべきことは、「神様情報」です。神様が一人一人に何を語っているのか?何を求めているのか?どの方向へ進むよう導いているのか?などにしっかりと耳を傾けて行くべきです。
ラハブは「神様情報」に耳を傾けました。まず、イスラエルの民が神様よって、大国であるエジプトから出てきた事を聞きました。そして、イスラエルの神がエジプトに勝る神である事を認め、信じ、恐れました。今、私達の前にも大国のような人や問題があっても、神様はそれらに勝る神である事を認め、信じて行きましょう。
次にラハブは、神が紅海の水を干された事を聞きました。そして、イスラエルの神が道を開き、道を造られる神である事を認め、信じ、恐れました。今、私達も同じように、一人一人の人生に道を開き、道を造られるのは神様である事を認め、信じて行きましょう。 
次にラハブは、オグとシホンという2人の王がイスラエルの神に滅ぼされた事を聞きました。そして、イスラエルの神を敵に回したら大変なことになると認め、信じ、恐れました。私達の神様は愛の神でいらせられますが、滅ぼすべきは滅ぼし、裁くべきは裁くお方です。要は事を行われる神様です。当然、敵に回したら大変です。大変というかもう終わるしかありません。だから、私達はいつでも信仰をもって神様側の民である事を認め、信じて行きましょう。
そして、最後にラハブは11節で素晴らしい信仰告白をしています。『わたしたちはそれを聞くと、心は消え、あなたがたのゆえに人々は全く勇気を失ってしまいました。あなた方の神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。』という告白です。神の前に自分は小さく弱い存在である事を認めました。さらに神が全ての所において全知全能の神である事を認めました。このラハブとその一家に神は救いと守りを与えたのです。
今、私達もラハブのように神様が全てに勝るお方で、道を開かれ創られるお方で、事を行われ、全ての所において全知全能の神であられる事を認め、信じて行きましょう。その信仰に神様は事を行い、救いと守りと素晴らしい導きを与えて下さいます。ハレルヤ♪

2010年8月4日(水)
水曜集会メッセージ 〜神の助けを仰ぐ詩

本日は詩篇121篇が開かれました。実は詩篇120〜136篇は「大ハレルヤ」と呼ばれていて、神様の素晴らしさが数多く記されている詩篇です。その中の一つである本日の詩篇121篇は「神の助けを仰ぐ詩」との題が付いていて、その御言葉一つ一つが素晴らしいメッセージとして私達の心に強く響いてきます。
そして、この詩篇の中で私の心に強く響いてきたのが、1節〜2節の『わたしは山に向かって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。』です。神様は実際に、生活の様々な所で、助けを与えて下さいました。だから、今があるのです。そして、これからの人生においても助けを与え続けて下さいます。ちなみに、神様の助けはイエス様の十字架の贖いによって与えられます。だから、イエス様による救いを信じ続ける所には、どこにでも神様の助けが与えられるのです。
実は、今週前半、私は暑さと忙しさでかなり疲れを覚えていました。そんな中、いつも読んでいるデポーションの本を開いたら、「肉体的、精神的に疲れ切った時は、霊的な事に時間を費やせ」と書いてありました。そこで、私は聖書を開いて御言葉を読みまくりました。すると、不思議と心に元気が与えられ、心が元気になると体も元気になってきました。神様の助けを受ける事ができました。
あと、神様は直接的に助ける時もありますが、助け手を送る事もなさいます。私にも神様からの助け手が数多く与えられています。そして、支えられ、助けられ、時には怒られ、共に仕え、共に遊び、共に礼拝し、幸いな時をもっています。
私達の助けは、神様から来ます。必ず来ます。信じて期待して行きましょう。ハレルヤ♪

2010年7月25日(日)
礼拝メッセージ 〜福音〜

『神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。』コロサイ人への手紙1章13節〜14節

〜福音〜

信仰生活において、「福音」を正しく理解することは大切です。その為に、パウロが用いられて、多くの手紙を現代に生きる私達に残しています。パウロの時代には、この福音を正しく理解しないで、律法主義に戻ってしまったり、見せかけだけの信仰者になってしまったり、信仰がアクセサリーのようになってしまう人もいました。だから、今、私達は聖書を通して正しく福音を理解する必要があります。
この「福音」と言う言葉は、「良い知らせ」「よきおとずれ」などの意味がありますが、イエス様がこの世に来て下さり、十字架の贖いの業を完成し、復活なされて、救いを完成させて下さった事を指しています。だから、福音とはイエス様そのものなのです。そして、本日の御言葉では、福音であるイエス様によって、今、信じる私達がどのような状態にあるべきかが記されています。聖書を見て行きましょう。13節『神は、わたしたちをやみの力から救い出して』。神様は私達を「やみの力(暗闇の圧制・サタンの支配)」からイエス様によって救い出して下さいました。このやみの力は、人を悪に走らせ、隣人を憎ませ、やる気・元気・活気を奪い、消極的・否定的に生きさせようとし、最終的に地獄に導くものです。そしてこのやみの力の一番ヤバい所は、神様から離れさせて、不信仰・不従順にさせる所です。今、悪魔サタンはクリスチャンやクリスチャンホームや教会や牧師をターゲットにして攻撃してきています。だから、私達はこのやみの力をあなどってはいけません。
しかし、恐れる必要はありません。なぜなら、そのやみの力に勝るお方が私達の信じるイエス様だからです。イエス様は『あなたがたはこの世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。』(ヨハネ福音書16章33節)と勝利宣言して下さっております。
そして、その全ての勝利者である神様の御子イエス様の支配下にある事が13節の後半に記されています。『その愛する御子の支配下に移して下さった』。今、やみの力からイエス様の支配下に移されている者として、私達は不信仰・不従順を取りのけて、信仰に生き、神様の御言葉に従順に生きて行きましょう。特に神様の御言葉に従順に生きて行く所には、神様の御業が豊かに現れる人生が待っています。イエス様の弟子ペテロは、イエス様に『わたしに従ってきなさい』と言われました。しかし、ペテロには気になる人がいました。それは弟子仲間のヨハネです。そして、イエス様に「このヨハネはどうなるのですか?」と質問しました。それに対してイエス様は『あなたとなんの関わりがあるか。あなたはわたしに従ってきなさい。』と言われ、従いました。そして、イエス様に従ったペテロの宣教の人生に神様の御業が豊かに現れました。ちなみに、ペテロが気になっていたヨハネは、ペテロと一緒に力を合わせて福音の前進の為に用いられました。
実は私も気になる人、気になる事がたくさんあります。しかし、イエス様は私にも『あなたとなんの関わりがあるか。あなたはわたしに従ってきなさい。』と語っています。神様の御言葉に従順に歩んで行く時、私の気になる人も気になる事も神様が全てを良いようにして下さいます。
最後にイエス様の支配下にいる者として私達は「愛に」生きて行きましょう。神様は私達に『互いに愛し合いなさい』と繰り返し語っております。実はやみの力の中で、憎む事、恨む事、妬む事が身についていて、イエス様の支配下に移ってもなかなかこの古い習慣が抜けない人がいます。私も含めて・・・。だから、今一度、イエス様の十字架を見上げて、ゆるされている事・愛されている事を心に刻み、ゆたされ・愛された者として、ゆるし・愛する者になって行きましょう。
ある本にイエス様の支配下にいるのに、不信仰・不従順・憎しみに生きているのは、「結婚式に喪服を着ているのと同じだ」と書いてありました。だから、私達は今、福音によってイエス様の支配下にいる者として、神様を喜ぶパーティードレスを着て、信仰と従順と愛をもって生きて行きましょう。ハレルヤ♪

2010年7月18日(日)
『花火と賛美の集い』特別メッセージ 〜夏休みを楽しく過ごす方法〜

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。』テサロニケ人への第1の手紙5章16節〜18節

〜夏休みを楽しく過ごす方法〜

夏休みを楽しく過ごす方法はいろいろあります。宿題を早く終わらす→休みを満喫できる。いつもはできない事をやってみる→新しい発見がある。行った事のない所に行ってみる→いろいろな面で視野が広がる。では聖書が教える夏休みを楽しく過ごす方法は何でしょう。それが本日の御言葉です。第1は「常に喜べ」です。他の言葉で言うと「笑顔で生きる」です。笑顔にはすごい力があります。人を安心させ、喜ばせ、楽しませる事ができる。そしてその人との関係を良いものにしてくれる。そして神様は私達が笑顔で生きられるように、その全てを備えて下さいます。
第2は「絶えず祈れ」です。これは「願いを持ち続けなさい」という意味があります。あれが欲しい、これが欲しい、こういう風になりたい、こんな人になりたいなどの願いを持ち続ける事は良い事です。この事によって、私達は向上心を持つ事ができるからです。そしてその願いを神様に向かって言って行く事が「祈り」です。神様は私達一人一人が幸せになる事を願っています。だから、幸せになる為の必要なものを与えて下さいます。信じて祈って行きましょう。
第3は「全ての事に感謝せよ」です。これは「ありがとうという気持ちを持って生きる」と言う事です。そして実際に「ありがとう」を口に出して言って行きましょう。「ありがとう」は言っても言われても嬉しい言葉です。言われた方にも言った方にも幸せが広がる言葉です。
これらの3つの事を意識しながら生きて行く時、夏休みに限らず、楽しい素晴らしい日々を送る事ができます。そしてこの3つは、神様が私達人間に求めておられる事でもあります。あの神様の願いに応える為にも、「常に喜べ」「絶えず祈れ」「全ての事に感謝せよ」を実践して行きましょう。ハレルヤ♪

2010年7月11日(日)
第二礼拝メッセージ 〜人間の弱さと神様の愛〜

『夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。』マタイによる福音書26章20節〜22節

〜人間の弱さと神様の愛〜

本日の御言葉は、イエス様が十字架にかかる前の最後の晩餐における弟子達との会話が記されています。イエス様が「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている。」と言われました。それに対して、弟子達は「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言いました。この弟子達のコメントに対して、私は「イエス様の弟子だろ!おいおい、しっかりしろよ!」と思いました。しかし、私も含めて、人間と言うのは自分自身の事すらなかなか理解しきれない弱い存在です。
先日、教会の植木の手入れを母と一緒にしている時の出来事です。植木の中に「とりかぶと」があります。この植物の根には毒があって、これを使っての未遂事件のニュースが以前にテレビで流れた事がありました。私は母に「とりかぶとか〜、気をつけなくては〜」と言うと母は「大丈夫よ、奈緒美さん(私の妻)はいい人だから」と、そして続けて「私も気をつけなくては〜」と言いました。私は母に「大丈夫だよ、誰も毒をもるなんてしないから」と言ったら、「そうじゃなくって、私が誰かに毒を入れないように気をつけなくては…」と言いました。
人間は弱さのゆえに、欲の為に、感情によって自分でも理解できないような行動に出てしまう事があります。だから、先ほどの弟子達の「主よ、まさか、わたしではないでしょう」のコメントを安易に批判することはできません。それぐらい人間は弱い存在です。
しかし、おぼえていただきたいのはここからです。そんな人間の為に、イエス様が十字架にかかって下さり、命を捨てて贖いの業を完成し、救いを与えて下さったという事です。さらに、その弱い人間を神様に喜ばれる存在に変えようと聖霊様が働いて下さるという事です。
私達は自分自身の弱さを認め、神様の愛であるイエス様の救いと聖霊様の導きを感謝して信仰の道を前進してまいりましょう。ハレルヤ♪

2010年7月4日(日)
第二礼拝メッセージ 〜相続人〜

『御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難を共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。』ローマ人への手紙8章16節〜17節

〜相続人〜

相続人とは、親や先代から資産や伝統や技術を受け継ぐ人の事です。そして、本日の聖書では、イエス・キリストを信じる人は「神様の相続人である」と記されています。神様からの素晴らしいものを受け継ぐ事ができるのです。では実際何を受け継ぐのでしょうか。
第一に「信仰」です。この信仰は神様の恵み・力・祝福を引き出す為の素晴らしいものです。さらにこの信仰によって、神様ご自身を喜ばせる事もできるのです。この信仰を日々の生活の全てにおいて用いて行きましょう。
第二に「愛とゆるし」です。これによって、愛する心とゆるす心が与えられ、これを用いる所に平和と楽しさが広がってきます。
第三は「清さと正しさ」です。そして神様はこれを一人一人の良心の中に備えて下さいました。これを用いる時、神様に近づく事ができ、神様の守りと助けと導きを絶えず受けて生きる事ができます。とうぜん、あらゆる面において祝福を受ける事ができます。
実はこの後、第四、第五、第六・・・・と続くのですが、本日はここまでにして、最後に相続人が支払うべき「相続税」についてお伝えいたします。神様の素晴らしいものを相続する為には、相続税が必要となります。この相続税はイエス・キリスト様の十字架の血潮です。イエス様の十字架による贖いによって、信じる者はみな、神様の相続人になる事ができます。信じて、相続して、祝福された道を歩んで行きましょう。ハレルヤ♪

2010年6月23日(水)
水曜集会 〜避け所であられる神〜

『神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。』詩篇46篇1節

本日は詩篇46篇が開かれました。この詩篇は「避け所であられる神」という題がついております。人にとって「避け所」は必要であり大切です。他の言葉で言うと「逃げ場」とか「隠れ場」になるのでしょうか。以前、教会の若者達と富士山に登りました。教会の行事なのに御来光を見ようと夜中に登りました。八合目に着いた時、雨が降ってきたので山小屋の軒先に横一列に並んで雨宿りしていると、山小屋の管理人に「うるさい!」と怒られてしまい、しかたなく雨の中山頂を目指して進みました。その山小屋は私達の避け所ではありませんでした。しばらくすると雨もやみ、素晴らしい星空が現れました。みんなでそれを見上げながら、やっぱり神様が私達の避け所である事を再確認しました。
神様は実際の生活の中でも避け所となってくださいます。人は生きていれば、様々な人間関係のしがらみやトラブルによって、疲れたり傷ついたりします。そんな時に神様は私達に『すべて重荷を負うて苦労している者はわたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう』と聖書を通して語り、私達の心に休息と平安を与えて下さいます。
さらに力も与えて下さいます。「考える力」「愛する力」「ゆるす力」「耐える力」などなど「生きる力」を与えて下さいます。
そしてもう一つ。神様は私達が悩む時の「いと近き助け」となって下さいます。生きていれば誰にでも悩みが出できます。自分の事、家族の事、仕事の事、将来の事などいろいろ悩み、そしてその悩みがストレスになって、さらなる悩みを生みだす事もあります。
だから、悩んだ時に助けて下さる存在をもつ事が大切です。その存在が神様なのです。私は自分の悩みも誰かの悩みも全て神様に打ち明けます。同時にその悩みによる自分の怒りや悲しみや残念さも打ち明けます。悩みは誰かに聞いてもらうだけでちょっと安心したり、気が楽になったりしますが、神様はそれだけでなく、解決への道を教え導き、切り開いて下さいます。
神様は私達の「避け所」であり「力」であり「いと近き助け」です。これからも神様を信じお頼りして行きましょう。ハレルヤ♪

2010年6月13日(日)
礼拝メッセージ 〜祝福される為に〜

『しかし、主であり、また教師であるわたしが、あなたがたの足を洗ったからには、あなたがたもまた、互に足を洗い合うべきである。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。よくよくあなたがたに言っておく。僕はその主人にまさるものではなく、つかわされた者はつかわした者にまさるものではない。もしこれらのことがわかっていて、それを行うなら、あなたがたはさいわいである。』ヨハネによる福音書13章14節〜17節

〜祝福される為に〜

聖書の中には「祝福」とか「幸い」とか言う言葉が数多く出てきます。そしそれらを獲得する方法も記されています。本日もイエス様の行動と言葉からそれらを教えられて行きましょう。
本日は、最後の晩餐において、イエス様が弟子達の足を洗われた事が記されています。このイエス様の行動に弟子たちは驚きました。そして理解できませんでした。そこで、弟子の一人のペテロがイエス様に「足を洗わないで下さい」と言いました。するとイエス様は『もし足を洗わないなら、あなたとわたしと何の係わりもなくなる』と言われました。イエス様に足を洗っていただくという事は、イエス様の清さにあずかる事であり、イエス様により一層近づく事であります。そこでペテロは「では全身おねがいします」と言いました。それに対してイエス様は『足のほか洗う必要がない』と語られました。当時、足は生活の中で一番汚れを受けるところでした。イエス様が足だけを洗われた理由がここにあります。魂の救いを受けても、生活の中で世の様々な汚れや悪によって、罪がからみついてきます。イエス様はそれを清める為に足を洗われました。だから、現代に生きる私達もイエス様に足を洗っていただく必要があるのです。しかし、今、実際にイエス様に足を洗っていただくことはできません。そこで、大切なのがイエス様の十字架による贖いの血潮です。イエス様の血潮はものを言う血潮、事を行う血潮です。イエス様が私達の罪の為に十字架にかかって下さったという事実が、私達の生活の中でからみつくいっさいの罪を洗い清めて下さいます。だから、礼拝において、日々のデボーションにおいて、イエス様の清めにあずかりイエス様に近づいて行きましょう。
イエス様は弟子達の足を洗った後、次のように語られました。『互いに足を洗い合うべきである』です。これはお互いに、イエス様の清さにあずかる為に、またイエス様に近づく為に、共に神様に向かって進みなさい、と言う事です。共に神様に祈り、共に賛美をささげ、共に聖書を学び、共に神様に仕えて行くべきです。その交わりの中に、お互いに励まし合ったり、慰め合ったり、助け合ったり、支え合ったりする事ができます。そして私達は平和や喜び、楽しさや恵みを共有し幸いを味わう事ができます。17節に『あなたがたがこれらの事を知っているなら、それを行う時にあなたがたは祝福されるのです』と書いてある通りです。
私達は天国に行くまで、イエス様の十字架による清めにあずかり、またお互いに良き交わりを持って足を洗い合い、祝福されてまいりましょう。ハレルヤ♪

2010年6月6日(日)
第二礼拝メッセージ 〜主を恐れる〜

『自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。』箴言3章7節

それぞれ自分自身を見てどう思っていますか?本日の聖書では『賢いと思ってはならない。』と教えています。ではなぜ神様はそのようにお語りなるのでしょうか。それは、自分を賢いと思っている人は、人の意見も神様の言葉も聞かないで、「自分は正しい!自分は間違っていない!自分は大丈夫!」と思って生きてしまうからです。
逆に自分は賢くないと思っている人は、人の意見も聞き、何より神様の言葉を聞き、神様を頼って生きようとします。実は人にとってこれが一番大切なのです。
そして本日の御言葉では『主を恐れて』と教えています。神様を認め、信じ、あがめて生きる事が、『主を恐れる』と言う事です。
さらに『悪を離れよ』と教えています。悪は神様も自分も周りの人も悲しませ、苦しませ、残念な結果をもたらせ不幸にします。神様は聖書を通して、また聖霊様の導きを通して、何が善で何が悪であるかを私達に教えています。だからしっかりと神様の幸への導きに従って、悪を離れて善に生きて行きましよう。ちなみに善は神様も自分も周りの人も喜ばせ安心させ幸せを広げることになります。ハレルヤ♪

2010年6月2日(水)
水曜集会 〜信仰に立って神様の恵みに生きる〜

本日は詩篇36篇が開かれました。
1節から4節は「不信仰者の生活」について記されています。不信仰な者は、「神様を恐れない、その口に欺きがある、善を行う事を止める、悪を嫌わない」などの行動があります。だからもし信仰生活の中で、これらの一つでも出てきた時は気をつけるべきです。
5節から9節は「神の恵みの光」について記されています。5節に『主よ、あなたのいつくしみは天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶ』とあります。神様のいつくしみ(恵み)とまこと(真実)は私達の思いを遥に越えて高く大きいのです。だから、自分の経験や思いでそれを制限する事がないようにしましょう。
8節に『あなたの家の豊かなのによって飽き足りる。あなたはその楽しみの川の水を彼らに飲ませられる。』神様は私達の人生に楽しみの川を流してその水を飲ませて下さいます。実は、本日の集会で一人の姉妹が自動ドアにぶつかって、帰りに転んだ証しをしました。それも嬉しそうに笑いながら。その話を聞いていた人達も一緒に笑いました。もうすでにこの集会の中に、神様は楽しみの川を流して、私たち全員を楽しませて下さいました。ぶつかったり転んだりすることは決して嬉しい事ではありません。しかし、そのマイナスも神様は楽しみに変えて下さいます。
9節に『いのちの泉はあなたのもとにあり、われらはあなたの光によって光を見る。』とあります。神様はイエス様という光を私達に与えて下さいました。このイエス様は私たちの心の隅々まで照らし、そして救いや癒し、恵みや解決という輝かしい光を私たちに見させて下さいます。
今、私たちは不信仰で自分や周りの人々を不幸するのではなく、信仰に立って神様の恵みに生き、人生を楽しみ、様々な素晴らしい光を実際に見て行きましょう。ハレルヤ♪

2010年5月23日(日)
ペンテコステ礼拝 〜与えられる希望〜

『しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。』
コリント人への第二の手紙3章16節〜18節

〜与えられる希望〜

 キリスト教の三大祭りをご存知ですか?一つ目はクリスマス。これはイエス・キリストがこの地上に生まれてくださった日です。一般的にクリスマスにはプレゼントをあげたりもらったりしますが、神様から人類への最高のプレゼントがイエス様なのです。このイエス様の誕生を聖書では『全てを照らす真の光があって世に来た。』と記しています。イエス様は私達の心を照らし続けて下さる最高のプレゼントです。
 次にイースターです。イエス様は全ての人の罪を取り除くために、十字架にかかり死んでくださいました。罪とは、本来「的外れ」という意味があり、人が本当の的である神様を信じない事が罪なのです。その信じない心を取りのけて信じられるようにして下さったのがイエス様です。イエス様は十字架にかかりましたが、死んで終わりではなく、3日目によみがえって、人にはどうする事も出来ない「死」に勝利し、天国で生きる道を開いて下さいました。そのよみがえられた日がイースターです。ちなみにイースターエッグは復活の象徴として教会で配られるものです。
 3つ目はペンテコステです。これはイエス様がよみがえって、40日間この地上で弟子達に福音を語り、その後、雲に乗って天国に昇られました。イエス様が目に見える形ではこの地上からいなくなりましたが、その代わりに、世界中どこででもイエス様を信じ、神様の恵みや教えを受けられるように「聖なる霊(聖霊)」が弟子達に注がれました。その聖霊が注がれた日がペンテコステです。聖霊によって、私たちは毎日、教えられ導かれ助けられ励まされ支えられて生きる事ができるのです。
 このキリスト教の3大祭りとそれによって与えられる神様・イエス様・聖霊様の存在と働きを心から信じて実際にその恵みにあずかって生きているのがクリスチャンです。そしてそのクリスチャンに「与えられる希望」が本日のメッセージです。ここで先に結論をお伝えします。クリスチャンに与えられる希望とは、「私たちは変えられる」「私たちは今のままではない」「私たちはイエス様のように変えられる」です。
 人はとかく変る事に恐れや不安を感じます。だから、今、アンチエイジングとか若返りの為の美容とかが流行っています。実は私も以前アンチエイジングをやっていました。私がやっていたのは白髪を染める事です。30代から額の上の一部だけメッシュを入れたように白髪になっていました。それが気になって染め始め、40超えたころには全体的に白髪が目立つようになってきたので、月一のペースで染めていました。しかし、白髪を染めても体力は落ちるし、疲れは抜けないし、無理をすると倒れるし、現実を受け止めなければいけないと考え、染めるのをやめました。それに聖書の箴言に『白髪は栄光の冠である。正しく生きる事によってそれが与えられる。』と書いてあったので、今は白髪3、黒髪7ぐらいの頭で楽しく生きています。
 本題に戻りましよう。イエス様を信じてクリスチャンになっても、年もとるし、白髪になったり、体力が落ちたりして、老化は進みます。しかし、ただ老化が進むだけではありません。イエス様を信じ、イエス様に心も体も向かって生きて行く時、私たちはイエス様のように変えられて行きます。では実際にどのような変化が起こるのでしょう。それは「愛の人」に変えられます。この愛の人とは恋多き人の事ではありません。神様を愛する人、自分を愛する人、隣人を愛する人に変えられます。
 まず神様を愛する人です。神様との関わりを大切にし、神様の声を聞き、神様に祈り、神様に仕え、神様にささげる人です。ちなみに本日の聖書コリント人への手紙を書いたパウロも神様を愛する人でした。彼は神様を愛し、神様に生かされ、それに伴う感動と喜びを豊かに味わうエキサイティングな人生を歩みました。神様を愛する人はエキサイティングな人生を歩めます。
 次に自分を愛する人です。これは自分を大切にして、自分の中で正しい仕分けができる人です。自分に必要なもの、不必要なものを正しく仕分けて、実りのある人生を歩むことができます。
 最後に隣人を愛する人です。ちなみにイエス様のように隣人を愛する事ができます。イエス様は関わる全ての人をゆるして愛して下さいました。そしてその愛を受け取った人々は素敵な人に変えられて行きました。私たちもゆるして愛する事ができ、さらに関わる人達を素敵な人に変える事ができるようになります。
 そして、これらの素晴らしい事の成就の為に働いて下さるのが聖霊様なのです。本日の御言葉に『これは霊なる主の働きによる』と書いてあります。私たちはこの御言葉をそのまま信じて、イエス様に心も体も向けて信仰の道を歩んで、ますます愛の人に変えられて行きましょう。ハレルヤ♪

2010年5月19日(水)
朝の水曜集会 〜逆境の中での信仰による祈り〜

詩篇31篇「逆境の中での信仰による祈り」
この詩篇の記者であるダビデは年中逆境の中にいました。だからダビデは神様に頼り神様に助けていただき神様に対する信仰が強くなり神様との距離が近くなり神様の恵みに生きる事ができました。その歩みを歌にして残したものが詩篇であり、本日の31篇もその一つです。
先ほども言ったように、ダビデは逆境の中で神様に頼りました。そして、実際に『主よ、わたしはあなたにより頼みます』と告白しております。ではダビデは実際にどのような行動をもって神様により頼んだのでしようか。
第一は「神様を信じる」です。目に見えない神様が存在する事を信じる。神様が助けて下さると信じる。そして神様の御言葉(聖書の言葉)を信じるのです。
第二は「神様に求める」です。祈りの中に自分の現状や思いを訴えて、さらにどのようになりたいのか、どのような希望を持っているのかをそのまま神様に言って行くことが大切です。
第三は「神様に聞く」です。聖書を通してまたメッセージを通して神様は語っておられます。神様の御声に耳を傾けてまいりましょう。
第四は「神様に従う」です。子どもの頃、何かを選ぶ時、「どちらにしようかな♪天の神様の言う通り♪」と歌って、結局自分の好きな方を選んでいましたが、神様が語って下さる御声を聞いて、その通りに進むことが従うという事です。
第五は「神様に委ねる」です。神様にお任せする時、神様は私達にとって最善を為して下さいます。それが自分の思いや計画とは違っても、神様のなさる事が結局は自分にとっても真の幸せになるのです。ダビデはこのようにして神様により頼みました。そして、その時々に神様の勝利を見る事ができました。
今、逆境の中にいる人、これから逆境の中に入りそうな人、そうでない人、とにかく全ての人にこのメッセージをお届けします。「神様により頼んで下さい!」。
皆様の祝福を祈ります。ハレルヤ♪

2010年5月16日(日)
第二礼拝メッセージ 〜よろしく〜

『きよい接吻をもって、互いにあいさつをかわしなさい。キリストのすべての教会から、あなたがたによろしく。』ローマ人への手紙16章16節
〜よろしく〜 
本日の聖書であるローマ人への手紙第16章にはパウロの個人的な挨拶が記されています。そして『よろしく』という言葉が20回出てきます。『プリスカとアクラとに、よろしく言ってほしい』『ペルシスに、よろしく』『アンデロニコとユニアスとに、よろしく』などなど。パウロに『よろしく』と言われた人は全員、神様の栄光の為にまた福音の前進の為に力を尽くした人達です。ある人はパウロの同労者、一緒に投獄された人、アジヤの初穂、主にあって一方ならず労苦した人、援助者。パウロはその一人一人に『よろしく』と語り、その労をねぎらい、これからも頑張るようにとの励ましを与えています。
今、この聖書を通して、神様も私達一人一人に対して『よろしく』と語っています。私達一人一人の様々な奉仕や活動の労をねぎらい「がんばってね」「よくやったね」と声をかけて下さいます。さらにこれからも「力を尽くして下さい」「期待していますよ」「あなたにまかせますよ」と声をかけて下さいます。
今、私達も神様からの『よろしく』に信仰をもって応えて行きましょう。また、お互いに『よろしく』と声をかけ合って、共に福音の前進の為に力を尽くしてまいりましょう。

2010年5月9日(日)
日曜学校礼拝メッセージ 〜接する〜

『兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。』テサロニケ人への第一の手紙5章14節
本日の御言葉には、様々な人に対してどのように接して行けばよいのかが具体的に記されています。
まず「怠惰な者」です。ほかの聖書では「気ままな者」と記されていましたが、面倒な事が嫌いで、楽な方へ逃げようと考える人の事です。そのような人に対して「戒めよ」と教えています。戒めるとは決して潰したり、裁いたりすることではなく、神様の御言葉をもって教えなさいと言う事です。
次に「小心な者」です。これは気が弱くて、ヒビりで、今一積極的になれない人の事です。そのような人に対して「励ませ」と教えています。
次は「弱い者」です。心が弱い、意志が弱い、体が弱い、頭が弱いなどなど、人は誰でも一つや二つは弱い所があります。ちなみに私は五つか六つ。そのような人に対して「助けろ」と教えています。
実はこのテサロニケ人への手紙が書かれた時代には、このような人達が実際にいたと言う事です。だから、現代においてもそのような人達がいてもよいのです。って言うか、いる事が当たり前なのです。だから、今、自分が怠惰な者、小心な者、弱い者と思う人は安心して下さい。イエス様はそれをすでに知っていて下さいます。知った上で、愛し、ゆるし、戒め、助け、励ましで下さいます。さらにお互いにそのようにするように教えています。
そして最後に『すべての人に対して寛容でありなさい』と教えています。これは優しさと忍耐をもって進んで行こうということです。
私達が本日の御言葉通りにお互いにして行く時、神様の働きの中に、一人一人が素敵な人に変えられて行きます。御言葉に従って行きましよう。ハレルヤ♪

2010年5月12日(水)
朝の水曜集会メッセージ 〜神の偉大さをたたえる賛歌〜

詩篇29篇「神の偉大さをたたえる賛歌」
1節、2節に『神の子らよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。み名の栄光を主に帰せよ、聖なる装いをもって主を拝め。』と記されています。これは神様の栄光をお帰しするように、また、神様に良いものをささげるようにとのお勧めです。ではなぜ神様に良いものを私達人間がささげなければならないのでしょうか。それは、神様がまず私達人間に最高に良いものを与えて下さったからです。その最高に良いものとは、もちろんイエス様です。私達の罪をゆるし、神様との交流の道を開いて下さったイエス様が、神様が下さった最高のプレゼントです。また、神様は私達に様々な恵みを与えて下さいます。目に見えない恵みや目に見える恵みを神様は毎日、私達に与え続けて下さっています。そして、その恵みによって私達は人生を楽しむことができます。
先日、教会で親睦会に行きましたが、神様の恵みの一つである兄弟姉妹との交わりはホントに楽しいし、たくさん笑いました。先週の日曜日の午後も教会学校の子ども達と公園でバスケットをしましたが、勝っても負けても、上手くできても失敗しても、みんなで大爆笑しました。神様はこれからも様々な恵みを与え続けて下さいます。だから、私達も賛美や祈りや献金や奉仕を通して、栄光を神様にお帰ししてまいりましょう。神様から受けて、神様に帰す、そしてまた神様から受けて、神様に帰す、ここに素晴らしいサイクルが生まれます。神の子として、神様に栄光を帰して行きましょう。
4節に『主のみ声は力があり、主のみ声は威厳がある。』と記されています。神様の声は自然界にも人間界にも圧倒的な力をもって臨まれます。そして、神様はその力を私達を苦しめる為に用いるのではなく、楽しませ平安を与え祝福する為に用いられます。
11節に『主はその民に力を与え、平安をもってその民を祝福されるであろう。』と記されています。この素晴らしい神様を信じ、神様の恵みに生き、神様に栄光をお帰しする人生を歩んで行きましょう。ハレルヤ♪

2010年4月25日(日)
礼拝メッセージ 〜自由人として〜

兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。『ガラテヤ人への手紙5章13節』

〜自由人として〜 

キリスト教の事を全く知らない人が聖書を読んだら、理解に苦しむ言葉がいくつ もあるかも知れません。そして、本日の聖書の御言葉もその一つかも・・・。 
『召されたのは』→死んだのは。『自由を得るため』→自分は自由で奴隷ではない。みたいな感じに受けとめてしまう人もいるかも知れません。ではなぜ、この理解しにくい聖書が昔から用いられているのでしょうか。それは、聖書の語っている真理を先に信じた私達が証して、伝えるためなのです。だから、私たち自身がこれらの御言葉をしっかりと理解しなければなりません。
本日の『あなたがたが召されたのは』と言うのは、イエス様の十字架によって罪人である私達が死んで、義に生きるようになった事を表わしています。だから、「あなたがたが救われたのは」と訳すことができます。そして続いて『自由を得るためである』は、様々なものから解放される事を表わしています。
第一に罪から解放されます。
人は罪によって滅びと地獄という縛りの中に生きてしまいます。しかし、イエス様の解放によって救いと天国という恵みの中を生きる事ができます。

第二にサタン(悪魔)から解放されます。サタンは私達の考え方を否定的、消極的にしてきてさらに「ダメ」「無理」「あきらめろ」とささやいてきます。しかしイエス様の解放によって積極的、肯定的に生きられるようになります。
第三に恐れからの解放です。恐れは不安を生み、不安は心も体も頭も固くします。当然、視野が狭くなり、様々な素晴らしい可能性をつぶしてしまいます。聖書の中に『愛には恐れがない、完全な愛は恐れを取り除く』と書いてあります。完全な愛はイエス様が十字架で示された愛です。この愛によって恐れから解放され、平安が与えられ、心も体も頭も柔らかくなり、視野が広がり、多くの素晴らしい可能性が見えてきて、希望のある人生を歩むことができます。
今、私たちを縛るものはありません。私たちはキリストにあって自由人です。だからこの解放の恵みを信じて、解放して下さった神様に心も体も向けて感謝して進んでまいりましょう。ただ、自由人として生きる上において一つ注意すべき事があります。『その自由を、肉の働く機会としないで』です。余談ですが、この御言葉もキリスト教を全く知らない人が聞いたら「太った人が働くチャンス」とか「ひき肉やソーセージを作るマシーン」と思ってしまうかも知れません。この御言葉の意味は「自由を肉欲や自我の為に使うのではなく」です。自由を肉欲や自我の為に使うとサタンの策略に陥り、裁きや縛りを自分や周りの人にばらまいてしまいます。だから、私達はこの自由を用いて愛をもって互いに仕え合って行きましょう。
『愛をもって』は裁いたり、自分の物差しで人を決めつけたりしないでという意味があります。『互いに仕え合う』は自分のできる事をして誰かを助ける、手伝う、支える、喜ばせる、安心させる、楽しませる、笑わせるなどです。実はキリストにあって自由人とされている私たちは自分が思っている以上に誰かの為に様々な素晴らしい事ができるのです。
私たちはキリストに解放された自由人です。自由人として愛をもってお互いに仕えて、神様の良いものを益々広げて下さい。ハレルヤ♪ 

2010年4月18日(日)
第二礼拝メッセージ 〜天にも地にも〜

「主は言われる、わたしはただ近くの神であって、遠くの神ではないのであるか。主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。『エレミヤ書23章23節〜24節』

〜天にも地にも〜 

私達が礼拝で歌う賛美の中に「天にも地にも」と言う曲があります。この曲は「天にも地にも主は満ちている・・・アーメン」という歌詞で、本日の聖書の御言葉から作られたものです。曲はゆっくりしたメロディーで平和と安心が広がるような感じですが、聖書の御言葉を見ると何か神様からの厳しいメッセージとして語られています。 
当時のイスラエルの民の背信への神様からの厳しいメッセージです。神様は、この厳しいメッセージを現代に生きる私達にも語っております。それは私達の信仰生活の中に、神様を侮ったり、軽く見たり、神様の言葉の権威に服していない部分があるからです。 
神様は近くの神であり、私達はその神様から隠れる事や逃げることはできません。神様は私達の生活の全ての所に満ちておられます。その事を覚えて、私達は神様を認め、神様の御言葉の権威に服し、神様の語られるように生きて行きましょう。その時、私達は神様の愛と恵みを真に味わう人生を歩むことができます。ハレルヤ♪ 

2010年4月11日(日)
第二礼拝メッセージ 〜キリストのとりなしと神様の裁き〜

すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください』」。 ルカによる福音書13章8節〜9節

〜キリストのとりなしと神様の裁き〜 

本日の聖書個所から、私達が受けとめるべき事が2つあります。1つ目はキリストのとりなしです。本日の聖書に出てくる「園丁」はイエス様で、実を結ぶことができない場所ばかりとる邪魔な存在のような者に対して『そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。』と神様にとりなしをして下さるのです。ここに出てくる「肥料」は恵みです。イエス様は裁かない。そればかりか逆に恵みを注いで下さるお方です。だから、私達も自分自身も、また、隣人を裁くことなく、イエス様のとりなしを受けて行きましょう。イエス様のとりなしは必ず人を実を結ぶ者にして下さいます。 
そして、本日の聖書個所からもう1つ私達が受けとめるべき事は神様の裁きです。『もしそれでもだめなら、切り倒してください』と記されているように、最終的には全ての人が神様の裁きを受けます。だから私達はキリストのとりなしの中にいる間に自分を戒め、実を結んで行くようになるべきです。そしてまた、隣人に対してもキリストのとりなしと最終的な神様の裁きがあることを伝えるべきではないでしょうか。だからと言って、私達が隣人を裁くのではありません。いつでも神様の裁きに委ねて行くべきです。 
キリストのとりなしと神様の裁きをしっかりと受けとめて、信仰の道を前進して下さい。 

2010年4月11日(日)
礼拝メッセージ 〜神様に仕える者として〜

腰に帯をしめ、あかりをともしていなさい。主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい。『ルカによる福音書12章35節〜36節』 

〜神様に仕える者として〜 

今、私達はイエス様の救いにあずかり、神様に仕える者とされています。そしてその証として聖霊と賜物を受けています。聖霊様は私達が目に見えない神様を信じる事ができるように導き教え成長させて下さるお方です。そして賜物は神様に仕える者としての様々な能力であり、このたまものを生かして行く時に神様も兄弟姉妹も喜ばすことができるのです。 
今、私達は神様に仕える者として、より良く仕える事ができるようになる為に本日の聖書が必要なのです。まずは「腰に帯」です。帯にはいろいろな役割があります。その一つに「結び合わせる」というのがあります。着物の右と左を結び合わせる役割です。これは私達が愛によって神様と結び合う、また、隣人と結び合う事を表わしています。聖書に『愛は全てを結ぶ帯である』と記されていますが、私達は愛の帯を心の腰にしめて神様を愛し隣人を愛して行きましょう。愛に生きる事が神様に仕える者の第一の使命です。 
次に帯には「整える」働きがあります。振袖でも浴衣でも帯をしめて全体を整えます。私達も神様に仕える者として、信仰の帯を心の腰にしめて、信仰生活を整えて行きましょう。信仰生活が整えられて行く時、そこに神様のしるしと不思議と奇跡が現れてきます。 
次に神様に仕える者として帯だけでなく、あかり(火)を灯して行きましょう。本日の御言葉にも『あかりをともしていなさい』記されています。これを現代訳聖書では『ランプに火をつけていなさい』と記されています。ランプは火をつけてこそ、その場を明るくしたり温かくしたりするランプの役割を果たすことになります。私達神様に仕える者も火のついたランプのように、その置かれた場所を明るく温かくすることができます。だからいつも心にきりかとの火をつけて、さらに聖霊様の油注ぎによって、その火を大きく強くして行きましょう。 
私達が信じるイエス様はいつの日か、目に見える形でこの地時用に来られます。私達はそれを待ち望みながら、神様に仕える者として、愛と信仰の帯を心の腰にしめて、また、心内にキリストの火を灯し続けてまいりましよう。ハレルヤ♪ 

2010年4月4日(日)
イースター礼拝メッセージ 〜大いなる平安〜

その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。『ヨハネによる福音書20章19節〜20節』

〜大いなる平安〜 

イースターおめでとうございます!イースターはイエス様がよみがえられた日です。 
イエス様は、よみがえられる前に十字架にかかり死んで下さいました。それは全ての人の罪の贖いの為にです。イエス様によって私達の罪はゆるされました。ここに「大いなる平安」の1つ目があります。 
ところで、みなさんには恐ろしい存在がありますか?恐ろしい存在がいる事によって「気をつけよう」「注意しよう」と思うようになり、また罪悪感を覚えたり、反省したりするようになります。実は現代人にこの恐ろしい存在がいない為に、自分勝手に生き、悪が増大しているのです。だから、恐ろしい存在が必要となります。ちなみに私には恐ろしい存在が多くいます。個人名をあげると支障があるのでやめときますが、一番恐ろしい存在がいます。神様です。神様という存在が私を悪に沈ませないようにし、また悔い改めに導き、正しい方向へ進ませようとして下さいます。そして、今、イエス様の十字架の贖いによって、その神様の前に義とされました。だから、その神様が恐ろしい存在であると同時に、永遠の父親となって下さいました。ここに大いなる平安があるのです。 
第2番目の大いなる平安は、イエス様がよみがえった事によって与えられる平安です。イエス様はよみがえった事により、死に勝利なさったのです。死は人にとってどうする事もできないものであり、終わりを意味し、悲しみを生み、別れを表わすものです。しかし、イエス様のよみがえりによって、信じるクリスチャンにとって、死は通過点であり、天国へのステップであり、大いなる平安への入り口なのです。 
第3番目の大いなる平安は、この地上において受ける事ができるものです。聖書の中にイエス様に特別に愛されていた家庭がありました。それはラザロとマルタとマリアの家庭です。なぜイエス様はこの3人の家庭を特別に愛されていたのかは聖書に記されていませんが、彼らはイエス様を心から愛していました。イエス様の訪問を喜び、歓迎し、その交わりを楽しみ、とにかくイエス様が大好きでした。私達もイエス様を心から愛してゆくならば、イエス様に特別に愛される家庭になることができます。 本題に戻りましょう。この家庭の中のラザロが病気で死んでしまった時の話で、イエス様はマルタに『わたしがよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか。』と語られました。この中の『たとい死んでも生きる』という御言葉はなんとも凄い表現です。「ダメでも大丈夫!」「病気でも癒される!」「貧乏でも金持ち!」「食べても太らない!」最後のはちょっと違うかも知れませんが、ありえないと思う事が起きるのがこの『たとい死んでも生きる』です。私達がイエス様を信じて行く時、今がどうであっても大丈夫です。ありえない事をイエス様が行って下さるからです。だから信仰者はこの世にあって希望をもって生きる事ができるのです。 本日の聖書の御言葉は、よみがえられたイエス様が弟子達に最初にかけられた言葉が記されています。『安かれ』。新改訳では『平安があるように』です。よみがえったイエス様は今も私達一人一人に『安かれ』『平安があるように』と声をかけ、実際に大いなる平安の中に生きられるようにして下さいます。信じて進んで行きましょう。ハレルヤ♪ 

2010年3月28日(日)
礼拝メッセージ 〜花婿の友人〜

すなわち「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』。すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは、平らにされ、曲ったところはまっすぐに、わるい道はならされ、人はみな神の救を見るであろう」。『ルカによる福音書3章3節〜6節』 

〜花婿の友人〜 

この「花婿」の「婿」という時には「才能と知識のある者」という意味があります。聖書の中で「花婿」というのはイエス様の事を指しているので、花があって才能と知識のあるイエス様は、花婿の中の花婿です。そして、本日はこの花婿であるイエス様の友人の話です。この花婿の友人代表と言えば、バプテスマのヨハネです。彼はイエス様がこの地上に来られるちょっと前に生まれ、イエス様の来られる準備をした人です。彼は『悔い改めよ、天国は近づいた』と語り、天国のように神様の恵みであるイエス様が近づいておられる事を人々に語りました。彼はイエス様の来られる備えの働きをしましたが、彼がイエス様の友人として一番大切に思いまた願っていたことは別にあります。それは花婿であるイエス様との結びつきをより強く深くすることです。だから、イエス様が彼の所にバプテスマ(洗礼)を受けに来た時に、彼の方がイエス様に洗礼を授けていただきたいと願いました。それだけイエス様との結びつきを強く深くしたかったのです。 
今、私達もイエス様を救い主と信じて行くならば、花婿であるイエス様の友人です。そしてバプテスマのヨハネと同じように、この地上にもう一度来られるイエス様を待ち望み、その道を備える者となるのです。だから、今、花婿の友人としてイエス様との結びつきをより強く深くしてまいりましょう。その為には本日の御言葉が必要となります。5節『すべての谷は埋められ』。イエス様との結びつきの妨げとなる不信仰や不従順の谷を埋めて、信仰の道を前進してまいりましょう。信仰によって生きる所に神様の御業が現れ、奇跡に遭遇し、イエス様との結びつきは強く深くなって行きます。 
次に『すべての山と丘とは、平らにされ』。イエス様との結びつきを邪魔する怒りやねたみや憎しみの山や丘を平らにして行きましょう。それらがあるとイエス様の言葉が聞こえなくなってしまいます。それらを低くしてイエス様との愛の結びつきを保って行きましょう。 
次に『曲ったところはまっすぐに、わるい道はならされ』。新改訳聖書では『でこぼこ道は平らに』と書いてあります。イエス様との関係や人との関係をでこぼこにするのは一人一人の中にある自我です。この自我を砕いて従順を学んで信仰の道を平らにして、イエス様との結びつきを強く深くして行きましょう。 
私達一人一人は花婿であるイエス様の友人です。ハレルヤ♪

2010年3月21日(日)
第二礼拝メッセージ 〜イエス様を愛する〜

それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。 『ルカによる福音書7章47節〜50節』

〜イエス様を愛する〜

本日の聖書に出てくる女性はその町において「罪の女」というレッテルを張られていました。実際にそう言われてもしかたない生活をしていたのかも知れません。実はレッテルを張られると、人はあきらめと開き直りの行動に出てしまいます。
私は「太っている」というレッテルを張られています。ダイエットをあきらめてはいないけれど、多少の開き直りはしてしまいます。書道教室に通っている小学生に「太ってる〜」みたいなことを言われると「俺が太っていて、みんなに迷惑かけたかよ」と開き直りのコメントをしてしまう事があります。(ちなみに言った後、反省をします)
この女性もそのような思いをしていたかも知れません。しかし、この女性にそのレッテルを張らない方が一人だけいました。それがイエス様です。イエス様はその女性に対してゆるとし愛をもって接して下さいました。その女性はイエス様を信じ、そのレッテルから解放された喜びを得ました。だから、イエス差の足を涙で洗い、髪の毛でふき、香油を注ぎました。これは、ゆるして下さってイエス様を愛する行動です。
今、私達もイエス様の十字架の贖いによってゆるされた者としてイエス様を愛して行きましよう。イエス様に香油を注ぐように、賛美をささげ、献金をささげ、祈りをささげ、仕えて行きましょう。イエス様を愛する者にイエス様は『あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい』と素晴らしい言葉をかけて下さいます。ハレルヤ♪

2010年3月21日(日)
礼拝メッセージ 〜神様の思う道〜

「わたしは彼の道を見た。わたしは彼をいやし、また彼を導き、慰めをもって彼に報い、悲しめる者のために、くちびるの実を造ろう。遠い者にも近い者にも平安あれ、平安あれ、わたしは彼をいやそう」と主は言われる。『イザヤ書57章18節〜19節』

〜神様の思う道〜

本日の御言葉は、「いと高くいと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者」の語られた言葉です。簡単に言うと、神様のイスラエルの民への御言葉です。当時のイスラエルは偶像礼拝の中に生き、様々な面で堕落していました。真の神様から離れていた彼らは厳しい道を歩んでいました。それでも彼らは神様に背き続け「自分の思う道」を歩んでいました。この「自分の思う道」というのは自分の思う事がベストであると考えてしまい、周りに迷惑をかけ、神様を悲しませ、自分自身にもマイナスを積んでしまいます。そんなイスラエルの民に神様が語られたのが本日の御言葉です。18節『わたしは彼の道を見た』。
神様は自分の思う道を歩んでいるイスラエルの民を見て、「どうしようもないなぁ〜」「またかよ〜」「いつになったら〜」と思ったかもしれません。(これは私の推測ですが…)しかし、それでも神様はイスラエルの民に対して『わたしは彼をいやし、また彼を導き、慰めをもって彼に報い、悲しめる者のために、くちびるの実を造ろう。』とゆるしと愛をもって臨んで下さいます。
実はこれらの御言葉は現代における神の民である私達クリスチャンに向かっても語られています。私達が自分の思う道を歩んでいても、神様はその背信の罪をイエス様によって癒して下さいます。
また、聖霊様を通して正しい道へ平和な道へ幸いな道へ導いて下さいます。罪によって受けた裁きに、慰めと愛をもって報いて下さいます。さらに信仰を告白まするくちびる、賛美を歌うくちびる、御言葉を語るくちびるを私達の内に造って下さいます。
神様は19節でももう一度、『わたしは彼をいやそう』と宣言して下さっています。それだけでなく私達の生活に平安があるように『平安あれ、平安あれ、』と願って下さっています。今、神様の取り扱いの中に、自分の思う道から離れて、「神様の思う道」を歩んで行きましょう。ハレルヤ♪

2010年3月14日(日)
第三礼拝メッセージ 〜考える〜

あなたがたは、ただ主を恐れ、心をつくして、誠実に主に仕えなければならない。そして主がどんなに大きいことをあなたがたのためにされたかを考えなければならない。『サムエル記上12章24節』

〜考える〜 

一人暮らしの人がよく考える事は、「今日、何食べようかなぁ〜」だそうです。勉強が嫌いな学生がよく考える事は、「今日、学校で何しようかなぁ〜」だそうです。思わず「勉強しろ!」とツッコミたくなってしまいます。恐妻家の妻がいる夫がいつも考える事は、「今日は大丈夫かなぁ〜」だそうです。人はそれぞれ生活の中でいろいろと考える事があります。 
で、神様は聖書を通して、私達人間が考えるべき事を教えています。それは上記の御言葉通り、神様が私達のためにしてくださった「大きなこと」です。ではその「大きなこと」とは何でしょう。それは 
@イエス様の十字架と復活による贖い 
A聖霊様の日々の助けと導き 
B神様の選びと守り 
です。これらの事を考えて、信仰をもって受けとめて行く時、私達が生活の中でいろいろ考え悩まなければならない一つ一つに安心を得る事ができます。なぜなら神様が働いて導いて守って助けて下さるからです。私達は天国へ行くまでいろいろ考え続けるでしょう。その中でまず、神様がしてくださった「大きなこと」を考えて、神様に期待して行きましょう。ハレルヤ♪ 

2010年3月10日(水)
水曜集会 〜主よ、いつまでですか〜

本日の詩篇13篇は、「主よ、いつまでですか」という題が付いています。この「主よ、いつまでですか」は、信仰者の誰もが経験する思いではないでしょうか。 
いつまで病が続くのですか? 
いつまで苦しみが続くのですか? 
いつまで悲しまなければならないのですか? 
いつまで困難の中に生きなければならないのですか? 
私もそのような訴えを神様にした事は何度もあります。本日の詩篇の記者であるダビデもそうでした。そしてその思いがそのまま聖書に乗っているわけです。実はここにも聖書の素晴らしさがあります。聖書には高い水準の素晴らしい教えが数多く記されていますが、それだけではなく、本日の詩篇のように、弱さのある私達一人一人の事を理解して慰めや励ましを与えて下さいます。本当に感謝なことです。 
そして本日の詩篇は厳しい所に置かれている時にどのように祈ればいいかも示しています。3節『わが神、主よ、みそなわして、わたしに答え、わたしの目を明らかにして下さい。』。神様に目を注いでいただき、自分の目を明らかにしていただき、真理を悟り、御心を知り、神様の道を歩んで行けるように求める祈りです。私達もこのように祈ってまいりましよう。 
ダビデは様々な厳しい道を通りましたが最終的には5節『しかしわたしはあなたのいつくしみに信頼し、わたしの心はあなたの救いを喜びます。』6節『主は豊かにわたしをあしらわれたゆえ、わたしは主にむかって歌います。』のような信仰告白ができるように、神様の御業が現れました。 
神様は私達の人生を必ず良き方へ導かれます。ハレルヤ♪

2010年3月7日(日)
第二礼拝メッセージ 〜七転び八起き〜

正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。悪者はつまずいて滅びる。『箴言24章16節』

ある本に「人生、七転び八起きでいい。それでいい。」と書いてありました。それを慌てて読んだ人がいました。その人は「人生、七転八倒でいい。それでいい。」と読んでしまったそうです。「七転び八起き」と「七転八倒」、何となく似ていますが、意味は全然違います。そして、本日の聖書にはこの「七転び八起き」の事が記されています。『正しい者は七たび倒れても、また起き上がる』の『正しい者』とは道徳的に正しい者というだけではなく、神様と正しい関係にある人達、神様を信じる人達のことを指しています。そのような人は何回倒れても、また立ち上がることができるのです。という事は、神様を信じていても倒れたり、転んだりするという事です。
実は先日、教会学校が終わった後、中学生達と公園でバスケットをしている時に実際に転んでしまいました。私はゴール下にいて、みんなはボールを持っている人の方を見ていました。その人が左にドリブルで移動したので私も守りを固めようと左に移動しようとしたら、何かがあったわけでもないのに転んでしまいました。そして、その転んだのを誰にも気づいてもらえないまま起き上がって、砂だらけでプレー再会しました。ちょっと寂しかったです。クリスチャンも牧師も転ぶ話でした。
実際に転ぶだけでなく、精神的に転んだり倒れたり、人間関係でつまずいたり、とにかくいろいろな事に転んだり倒れたりつまずいたりします。しかし、神様を信じて生きる者は何回転んでも倒れてもつまずいても、また起き上がることができます。神様が起き上がらせて下さいます。
さらに、それらの経験を通して自分の弱さや愚かさを知り成長することができます。
さらにさらに同じように転んだり倒れたりつまずいたりした人に優しくすることができます。
イエス様を信じて正しい者とされている者は「人生、七転び八起きでいい。それでいい。」

2010年2月28日(日)
礼拝メッセージ 〜不思議〜

マノアは主の使に言った、「あなたの名はなんといいますか。あなたの言われたことが事実となったとき、わたしたちはあなたをあがめましょう」。主の使は彼に言った、「わたしの名は不思議です。どうしてあなたはそれをたずねるのですか。」 『士師記13章17節〜18節』

〜不思議〜 

本日の聖書は士師の一人であるサムソンの父マノアと神様の使いとの会話です。サムソンは神様の特別な選びの中に大力を与えられイスラエルの敵であるペリシテ人をやっつけた人です。そのサムソンの誕生の預言を神様に伝えにきました。そしてその会話の中で父マノアは名前を尋ねました。すると神様の使いは『わたしの名は不思議です』と答えました。イザヤ書の中にも『不思議な助言者』という神様の御名が記されていますが、神様は不思議なお方です。そして不思議な事を行われるお方です。このサムソンの人生においても神様は不思議な事を多く行われました。 
ある先生がこのサムソンについてイスラエルを救う働きをするのにふさわしい人物かどうかについて説教の中で語っていました。サムソンは神様から特別な力を受けていたけれど、決して素晴らしい整えられた人とは言う事ができないのではないでしょうか。親の忠告を聞かずに一目惚れした敵国であるペリシテ人の女性と結婚しようとしました。そして結婚がうまくいかずに酒に溺れ、女に溺れ、だまされてペリシテ軍に捕まり、目をえぐられ牢獄へ入れられてしまいました。しかし、神様はそんなサムソンを用いてペリシテ軍を倒しイスラエルを救いました。考えてみれば、聖書の中の用いられた多くの人々もサムソンと同じで、弱さがあったり愚かさがあったりしていました。一人として完全な人はいませんでした。このように神様のなさることは不思議です。私達が理解できない事も多くあります。しかしそれでも神様のなさる不思議はイスラエルの民をまた私達を救いへと幸へと導いて下さいます。 
考えてみれば、私達が今受けているイエス様による恵みは全て不思議な事で、人の知恵では理解できません。イエス様の誕生、イエス様の十字架、イエス様の復活、イエス様の召天、ペンテコステ、私達はそれら一つ一つを信仰によって理解していますが、全て人の常識や知識では理解できません。しかしそれでもその一つ一つによって、私達はゆるされ、清められ、守られ、助けられ、愛されています。 
だから、一人一人の日々の歩みにおいて、不信仰の常識を捨てて、神様のなされる不思議を受けとめて、神様の導かれる不思議に向かって進んでまいりましょう。 
神様の名は『不思議』です。みなさまの上に神様の不思議が豊かに行われるよう心からお祈りします。ハレルヤ♪ 

2010年2月21日(日)
第二礼拝メッセージ 〜星〜 

彼らは王のいうことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。『マタイ福音書による福音書2章9節〜10節』

〜星〜 

私の娘は高校生になってようやく一年がたとうとしています。学校まで自転車で通学していますが、新しい道を覚えるのが苦手で、私が安全な近道を教えても遠回りの道を行ってしまいます。ある時、何を思ったか、部活の帰りに私が教えた道を通って帰ろうとチャレンジしました。そして迷子に。自分がどこにいるのか、どちらに進めばよいのか、戻る道すら分からなくなってしまいました。そんな時、普通だったら携帯電話で場所を確認するとか、誰かに連絡するとかすると思いますが、私の娘はちょっと変っていて考えられないような行動に出ました。娘は学校を出る時、家の方向に月が出ていたのを覚えていて、月に向かってペダルをこいで進みました。しばらくすると、いつも通っている道に出で無事家に着く事ができました。私はこの話を聞いて、娘に「ここは砂漠か?!」とツッコミを入れました。 
実は私達も人生の歩みにおいて迷う時があります。そして自分がどこにいるのか、どこに進めばよいのか、どこに戻ればよいのか分からなくなってしまいます。しかし、そんな時、私の娘のように上を見上げればよいのです。上を見上げる時、そこにイエス様という大きな星があります。その星は私達がどのような時でも輝き続け、私達を照らし続けて下さいます。そして私達も信じて見上げて行く時、本日の聖書に出てくる博士達のように大きな喜びに満たされる事ができます。博士達の感じた喜びには、安心と平和が伴うものでした。同じように、私達もイエス様によってゆるされた安心と神様との平和が伴う喜びを得る事ができます。イエス様を見上げて、イエス様に照らされて進んで行きましょう。ハレルヤ♪ 

2010年2月14日(日)
礼拝メッセージ 〜最も大事なこと〜

わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。『コリント人への第一の手紙15章 3節〜5節』

〜最も大事なこと〜

「最も大事なことは何ですか?」と質問されたら何と答えますか。私の周りにいる人達に聞いてみました。ある中学生は「今は受験に決まってるだろ!」と。受験が終わっている中学生は「バレンタインにチョコもらえるかが大事」。ある高校生は「バイト」。ちょっと個性的な高校生は「北斗の拳のケンシロウ」。まあ私の周りには愉快な人達が多く…。人によっては「家族」「健康」「貯蓄」などと答えるのでは…。実はこれらの大事なことは状況や時、環境や流行、また感情によって変化してしまいます。
しかし、本日の聖書に記されている「最も大事なこと」は変る事が無く、全ての人にとって大事なことであります。そして、パウロもペテロもヤコブもヨハネもまた多くのキリスト者が命をかけて伝えてきたものであります。今、それを私達もしっかりと受けとめて行くべきではないでしょうか。では早速その最も大事なことの内容を、聖書を通して教えられて行きましよう。
第一に「キリストが私達の罪の為に死んで葬られたこと」です。私達一人一人の信仰生活はこのキリストの死から始まったのです。これなしには神様との関わりもないし、神様の恵みもない。逆にこれによって、神様と関われ、神様の声を聞き、神様に声を上げる事ができるのです。キリストの死は私達の信仰生活にとって最も大事なことです。
第二に「キリストがよみがえったこと」です。キリストのよみがえりは幾つもの素晴らしい意味があります。その一つが死に対する勝利です。人間は死を恐れます。そして死を乗り越える事はできません。しかし、信じる者にとって死は通過点であり、天国へのステップなのです。そして、キリスト者の死は万事において益となります。具体的に言うと、キリスト者の死は、残された者に安心を与える事ができるのです。天国という究極の平安の中に移され、さらにいつの日かまた再会することができるからです。またキリストのよみがえりは、この世に生きるキリスト者に希望を与えます。なぜなら、キリストのよみがえりの命によって回復の力が与えられるからです。信仰の回復、愛の回復、健康の回復、清さの回復、祝福の回復はすべてキリストのよみがえりの命に生きる時に豊かに与えられます。キリストのよみがえりは私達の信仰生活にとって大事なことです。
第三に「よみがえったキリストは多くの人に現れてくださったこと」です。これはイエス様がよみがえられた事が真実であることを意味していますが、それだけでなく、イエス様が現代に生きる私達の内にも現れて下さるという事です。目には見えないけれど、聖霊様の働きの中にイエス様は私達の内に現れて下さいます。そして私達に清さと愛を与えて下さいます。聖書に『神のみ心はあなたがたが清くなる事である。』と記されています。私達は清められる事にわよって、何が正しいか何が悪いのか、何をすべきなのか何を止めるべきなのか、何が御心で何が御心でないかがわかってきます。イエス様は私達を清める為に今も現れて下さいます。また愛も豊かに注ぐ為に現れて下さいます。これによって神様に愛されている事を強く感じる事ができるようになります。また、その愛をもって周りの人々を愛する事ができるようになります。私がメッセージの中でよく引用する言葉ですが、「人は愛されることによって安心を得、愛する事によって満足する」というのがあります。イエス様の現われによ
って、私達は安心と満足の人生を歩むことができます。
本日、一人一人にとって最も大事なことを語らせていただきました。このことをしっかりと受けとめてこの恵みに生き、また、このことを伝える者になって行きましょう。ハレルヤ♪

2010年2月7日(日)
第二礼拝メッセージ 〜正しい者の道〜

正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる。『箴言4章18節』 

〜正しい者の道〜 

本日の聖言葉の『正しい者』とはただ単に道徳的に間違っていないと言うのではありません。もしそうだとしたら、誰一人この御言葉の恵みにあずかることはできません。この『正しい者の道』とはイエス様の十字架の血潮によって義人とされた者の人生の歩みを表していて、神様と関わりをもって生きている者です。そして、そのような人は、神様の声を聞き、神様に声をあげ、神様に導かれ、助けられ、守られ、恵まれ、愛される人生を歩みます。 
さらに、この『正しい者』は、『夜明けの光』のようなまた『輝きを増して行く』ような人生を歩むことができます。これは、様々な事がはっきり明確になって行く人生です。神様の御心がはっきりわかってきます。そして自分にとって何が大切で何が不要なのか、また、何をすべきで何を止めるべきなのかがわかってきます。当然、神様の御心の中を歩むことになり、安心と安全の人生を歩むことができます。 
さらにさらに、世の中に、また関わる人々に、キリストの光を照らし、福音の前進に大いに生かされるようになります。だから、イエス様によって与えられた神様との関わりを何よりも大切にして益々輝いて行きましょう。ハレルヤ♪ 

2010年2月7日(日)
礼拝メッセージ 〜レホボテ〜

イサクはそこから移ってまた一つの井戸を掘ったが、彼らはこれを争わなかったので、その名をレホボテと名づけて言った、「いま主がわれわれの場所を広げられたから、われわれはこの地にふえるであろう」。『創世記26章22節』

〜レホボテ〜

本日はイサクの話です。イサクは父アブラハムから受け継いだ神様の祝福の中に生き、様々な面で豊かにされました。神様の祝福と聞くと、何か目に見える形で現れた物のように思われがちですがそれは恵みの一つであり、本当は神様との関わりそのものが神様の祝福であります。そしてその祝福によって、神様の声を聞き、神様に声をあげ、神様の導きと助けと守りの中に生きることができるのです。イサクはその神様との関わりを大切にして豊かにされました。ここで余談ですが、神様によって豊かにされるとはどのようになるのかを聖書を通してお伝えします。イザヤ書に『しかし、ついには上から霊が私達に注がれ、荒野が果樹園になり、果樹園が森とみなされる』と記されています。荒野が果樹園に変るぐらい、また、果樹園が森に変るぐらい豊かになります。本題に戻りましょう。
実は私達もイエス様の十字架の贖いにより神様との関係を持つ者とされています。もうすでにイサクのように神様の祝福にあずかっているのです。ただ、その関わりを大切にしているかどうかで豊かさに多少の差は出ます。とにかく、今、私達は神様との関わりの中にあるのです。だからまずそれを日々感謝して大切にして行きましょう。
しかし、この神様の祝福の中に生きていても、様々な敵や争いがでてきます。イサクも同じです。本日の聖書にあるようにイサクは井戸の所有権について敵が現れ争いが起きました。父アブラハムが掘った井戸をペリシテ人に埋められて、そこをもう一度掘って水が出たら、その地域に住んでいた羊飼い達が「この水は我々のものだ」と言ってきました。イサクは争わず身を引きました。そしてその井戸に「エセク(争い)」と名づけました。次にまた井戸を掘りました。するとこれも取られてしまいました。イサクは争わず身を引きました。そしてその井戸に「シテナ(敵)」と名づけました。イサクの生きる道においてエセク(争い)やシテナ(敵)がありました。
そして、イサクは本日の聖書にあるようにそこから移ってまた井戸を掘りました。今度は争いがなく水を手にする事ができました。その井戸に「レホボテ(広い)」と名づけました。イサクはいつでも身を引いて必要な井戸の為なら何度でも同じ努力を繰り返しました。身を引くというのは敗北のように思われがちですが、それがイサクに与えられた神様の導きであり、勝利に向かっての後退だったのです。その後、イサクは争いのない広い素晴らしい地において天幕を張り安心して生きる事ができました。神様はその地でイサクを豊かにされました。
私達も信仰生活の中で争いがあったり敵が現れたりして、苦しむ事や痛い思いをする事があります。また、失敗したり、願いが叶わなかったり、思い通りに進まない時もあります。しかし、クリスチャンは何が起きても終わりにはなりません。ダメになりません。たといどんなに落ちて行っても、下には永遠の腕があります。申命記33章27節に『とこしえにいます神はあなたの住みかであり、下には永遠の腕がある』と記されています。そして、私達がその厳しい道のりを通ることで、神様は必ず私達を広い(レホボテ)、素晴らしい所に導いて下さいます。また豊かにして下さいます。
もちろん、私達は最終的には天国という広い(レホボテ)地に移されますが、この地上においても、神様は生活の中で安全で平和な広い所に私達を導いて下さいます。そして果樹園のように森のように豊かにして下さいます。だから、私達は神様との関わりを大切にして神様の導きの中を前進してまいりましょう。ハレルヤ♪

2010年2月3日(水)
水曜集会メッセージ 〜心の平安を求める夕の祈り〜

詩篇4篇
この詩篇は「心の平安を求める夕の祈り」という題がついています。ダビデが一日の終わりに疲れを感じ、神様に平安を求めて読んだ詩ではないでしようか。
この詩篇全体を見て行く時、「主に呼ばわる事」の大切さを知る事ができます。今、私達も神様に呼ばわる事ができます。それはただイエス様の十字架と復活によります。この事を日々感謝して益々神様に呼ばわって行きましょう。
私達が神様に呼ばわって行く時、1節にあるように、私達が悩みの中に沈んでいても、神様はくつろがせて下さいます。新改訳聖書では『ゆとりを与えて下さる』と記されています。要は悩みの中にもあせったり、慌てたりしないでいいようにして下さるという事です。
2節不信な者や世の人々の現状について記されてあります。彼らは空しい事に目を注ぎ、お金や力を使って真実から遠のいて、不平不満の中に陥っています。私も含め、クリスチャンの中にも不平不満がよく口から出てくる人がいます。たぶん、空しい事に力を使っている事が多いのかも知れません。だから、空しい事ではなく、神様を愛する事に力を尽くして、感謝と賛美が口からあふれ出るようにして行きましょう。
次に3節ですが、この御言葉はとても嬉しい喜ぶべき言葉です。『主は神を敬う人をご自分の為に聖別された事を』。何だかピンとこない人もいるかも知れませんが、新改訳聖書では『ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ』と記されています。神様は私達を特別扱いして下さいます。特別に癒し、特別に恵み、特別に守り、特別に助け、特別に支え、特別に愛して下さいます。これはイエス様を救い主と信じた者への神様の特別な配慮であります。この事を知り、信じ、もっと感謝して行きましょう。
そして、最後に8節。『主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです』。真の平安を与えて下さるのは神様だけです。神様は私達の過去においての全ての罪をゆるして平安を与えて下さいました。神様は私達の現在において、守りと恵みをもって平安を与え続けて下さいます。また神様は私達の未来に天国を備えて平安を与えて下さっています。この素晴らしい神様に益々呼ばわって行きましよう。ハレルヤ♪

2010年1月31日(日)
礼拝メッセージ 〜信じたとおりに〜

『それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。』マタイによる福音書8章13節 

〜信じたとおりに〜 

本日の聖書の御言葉をイエス様からかけられたら、とても素晴らしく嬉しいことです。選挙で言ったら、当確みたいな感じでしょうか。念願成就の確約を得たのと同じであり、恵みの獲得目前みたいな感じでしょうか。しかし、私達はこの御言葉だけに目を留めてウキウキしていては、神様の恵みを獲得できないまま一生ウキウキして終ってしまいます。 
ここで大切なのは、イエス様がこの言葉を誰にかけたか、また、かけられた人はどのような人であったかです。聖書を見て行きましょう。声をかけられたのは百卒長です。百卒長とは百人の部下を持つ隊長のことです。この人がどのような人であったか、どのような行動をとったかが、聖書に詳しく記されています。聖書を見て行きましょう。この人は自分の部下の病気の癒しを求めにイエス様の所に来ました。この人は人に対する愛と優しさがありました。「百人も部下がいるのだから一人ぐらいどうでもいいや」とは考えず、一人一人を大切にする心を持っていました。実はこれはイエス様と同じ心なのです。聖書の中でイエス様が100匹の羊のたとえ話をしています。羊飼いであるイエス様は迷子になった羊を探して、見つけ出し、連れ帰りました。イエス様は一匹の羊を大切にするお方です。ちなみに私もイエス様に大切にされている一匹の羊です。たぶんこの文章を読んでいるあなたもイエス様にとっては大切な一人です。私達もこの百卒長のように関わる人を大切にする心を持って行きましょう。 
次にこの百卒長は、イエス様が崇高なお方であり尊厳と栄誉を受けるにふさわしいお方であることを認めました。そして同時に自分の低さや力の無さを認めて謙りました。だから、8節の『主よ、私の屋根の下にあなたをお入れする資格はございません。』と語ったのです。実は私達一人一人ももともと罪人(神様を信じず、関わりを持たない者)であり、神様に祈る事や賛美をささげる事や神様の声を聞く事や神様の恵みに生きる事などの資格のない存在でした。しかし、今はこの資格があります。それは私達の力や能力や努力によってではなく、イエス様の十字架と復活のおかげであり、ただ神様の憐れみであります。私達は決してこれを忘れてはいけないし、日々この恵みを感謝して行くべきです。 
次にこの百卒長は、イエス様の言葉を尊び、その言葉に権威と力がある事を認めました。聖書を見て行きましょう。百卒長は『ただお言葉をください。』と言いました。そしてイエス様の御言葉には全てのものが従い、全ての事が実現する事を信じ認めました。実はこの事は、今、直接イエス様に会えない私達にとって大きな慰めであります。イエス様が見えなくても、イエス様に触れていただけなくても、イエス様の言葉が事を為し、御業を現してくださるのです。そして、今、この聖書の中にイエス様の御言葉があります。だから、イエス様の御言葉を私達はもっともっと蓄えて、イエス様と同じ心、同じ思い、同じ考えになって生活して行きましょう。そこに聖霊様が働き、イエス様の御業が現れるのではないでしょうか。イエス様の御言葉には力があり、私達を変え、私達の周りの人々を変えてくださいます。 
イエス様は、愛があり、神様の権威を認め、謙り、その言葉の力を信じる百卒長に『行け、あなたの信じたとおりになるように。』と語られました。そして、この百卒長の信じたとおりに、部下は癒されました。 
今、私達一人一人に対しても、イエス様はこの言葉を語ろうと待っていて下さいます。だから、私達もこの百卒長のように生き、私達の生活の中にイエス様の御業を現していただきましょう。ハレルヤ♪ 

2010年1月27日(水)
水曜集会 〜人知にまさる神の計画〜

本日は詩篇第2篇が開かれました。この詩篇は「人知にまさる神の計画」という題がついています。しかし、実際に読んだ人の多くが難解な詩篇と言っています。実は聖書には難解な書簡や個所がいくつもあります。だから、教師である聖霊様の導きが必要なのです。 
ではさっそく、教えられて行きましょう。 
1節にあるように、いつの時代にも人々は騒ぎ立ち、空しい事をたくらんで、自分のうちに残念を招き入れてしまっています。ここで言う「空しい事」とは、神様と関係のないことであり、自分の欲や得に進もうとする事です。そして、最終的に神様の裁きの中に様々なものを失ってしまいます。だから、私達は空しい事を考え図るのではなく、神様との関係を整える事を考え図って行くべきです。聖書に『まず、神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは全て添えて与えられる。』と記されています。 
次に7節を見て下さい。神様の定めが記されていて、神様からの私達に対する言葉が記されています。その中に『お前はわたしの子だ。きょう、わたしはお前を生んだ』と言うのがあります。これは、私達一人一人が神様と関係を持っている存在であり、神様にとって私達が大切な存在である事を示しています。さらに、今、イエス様の十字架と復活によって、神様の恵みの中に置かれている事も記されています。 
だから、8節にあるように、私達は神様に求めて行くべきです。神様は私達の求めに答え、また、神様はいつでも私達一人一人を最善の所へ置いて下さるのです。 
先日、書道教室の生徒が、家や親や環境について、友だちと比べて不平不満を言っていました。人はとかく誰かと比べて優越感に浸ったり、劣等感に沈んだりしますが、それぞれが今置かれている場所は、神様の計画と導きによる事を信じて、その場所で感謝してまいりましょう。神様の計画と導きは私達一人一人を必ず幸せにします。 
最後に、12節の、『全てを主により頼む者はさいわい』の御言葉通りに、より頼んで幸いを得ましよう。ハレルヤ♪ 

2010年1月24日(日)
礼拝メッセージ 〜切り開け〜

それは林ではあるが、切り開いて、向こうの端まで、自分のものとしなければなりません。カナンびとは鉄の戦車があって、強くはあるが、あなたはそれを追い払うことができます。『ヨシュア記17章17節〜18節』 

〜切り開け〜 


ヨシュアはモーセの後継者として、イスラエルの民を導いた人です。そして難攻不落と言われていたエリコの城壁を崩し、また、イスラエルに敵する王や国を滅ぼし、イスラエルに勝利をもたらしました。と言っても実際は神様が城壁を崩し、敵を滅ぼし、イスラエルに勝利をもたらしました。実は現代においても神様のなされる不思議としるしと奇跡を体験し、見て行くのがクリスチャンです。そして、その御業を見る方法が「神様の言うとおり」です。「神様の言うとおり」で思い出す歌があります。「どちらにしようかな♪天の神様の言うとおり♪なのなのな♪」です。子どもの頃、何かを選ぶときにやっていましたが、結局は自分の思いや願いや計画を押し通そうとしてしまいます。しかしそれが必ずしも良い結果をもたらすとは限りません。だから「神様の言うとおり」で進んで行くべきです。ヨシュアは神様の言うとおりで勝利を得ました。 
様々な勝利を得たヨシュアは、その後、イスラエルの12の部族の住む所を割り当てました。それに対してヨセフの子孫であるマナセの部族とエフライムの部族が不平を言ってきました。内容は「自分達は人数が多いので、土地が狭すぎる」「さらに近くに敵である鉄の戦車を持っているカナン人がいる」という感じです。彼らは、神様によって与えられた土地、神様によって置かれた場所であることを忘れて、その場所においての悪い所、悪い条件に目をとめて不平不満の中に沈んでしまいました。 
それに対して、ヨシュアは「割り当て地の山地を切り開け」「強いカナン人を追い払う事ができる」と宣言しました。 
私達も今イエス様によって神様の恵みの中に置かれているのに、感謝や賛美を忘れ、様々な悪い条件に目をとめ、不平不満を口にしてしまう事があるのではないでしょうか。また、トラブルや困難にぶつかって信仰がぶっ飛んでしまう事もあるのではないでしょうか。ある教会の先生が「問題や困難の壁はキリストにあって乗り越えるためにある」「神様はあなたが乗り越えられない壁をあなたの前に置く事はしない」と言っておりました。 
今、私達は神様の恵みの中に置かれていて、信仰による大きな力がある事を信じて行きましょう。さらにその信仰の力によって様々な困難の山地を切り開き、鉄の戦車を持つ強い敵も追い払う事ができます。信じて神様の勝利を見て行きましょう。ハレルヤ♪ 

2010年1月17日(日)
第二礼拝メッセージ 〜実現させる神〜 
あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。『ピリピ人への手紙2章13節』

〜実現させる神〜

本日の御言葉にあるように、神様は私達の心や思いに働きかけて下さるお方であります。だから、その神様の働きかけをしっかりと受けとめられるように、神様との関係を整いておく必要があります。神様との関係を整くには、祈り、聖書、賛美、献金など神様に向かう時間を大切にする事です。
そして、その神様の働きかけによって、私達のうちに素晴らしい願いを起こさせて下さいます。この神様による素晴らしい願いを別の言葉で「ビジョン」と言います。このビジョンは、神様を喜ばせ、私達も喜び、周りも喜び、福音が前進するものです。ビジョンに関して気をつけなければならない事があります。それは自分の単なる願望と間違えてやすいという事です。自分の欲による願望では真の幸せには到達できません。だから、まず、神様が私達のうちに働きかけて下さり、与えられるビジョンを求めて行きましょう。
そして、その与えられたビジョンを実現して下さるのも神様です。
今、全てのクリスチャンが神様の働きかけを見逃さずに、神様からのビジョンを受けとめて、神様が実現させて下さる御業を見て行きましょう。ハレルヤ♪
2010年1月17日(日)
礼拝メッセージ 〜口の実と手の業〜

人はその口の実によって、幸福に満ち足り、人の手のわざは、その人の身に帰る。『箴言12章14節』 

〜口の実と手の業〜 

人はその口のから発する言葉によって生き方が変ります。「ダメだ!できない!無理だ!」と言っている人は、その通りになってしまうことが多いようです。逆に「できる!やってみよう!またがんばろう!」と言っている人は大きな壁を幾つも乗り越えています。だから、口からどのような言葉を発するかは大切です。 
本日の御言葉にも『人はその口の実によって、幸福に満ち足り』と記されています。だからまず、神様に向かって「信じます」「聞きます」「従います」と告白してまいりましょう。信じていく時、しるしと不思議と奇跡が現れます。聞いて行く時、知恵が与えられ正しい道に平和な道に導かれます。従って行く時、そこに祝福があります。神様に対して実際に信仰による告白をして幸福に満ち足りて行きましょう。 
次に、自分自身に対して、神様が聖書を通して語っている事を宣言して行きましょう。神様は私達の事をいろいろと語っていますが、何と行っても『あなたは高価で尊い』です。これを自分に宣言することによって自分が大切な存在であることがわかります。また、『あなたがたはその枝である』という御言葉から、自分はイエス様に結びついて実を結ぶ存在であることがわかります。さらに『あなたがたは世の光である』の御言葉によって、自分が置かれている場所を明るく暖かくする存在であることがわかります。自分に対してできれば鏡を見ながら良い宣言をして行きましょう。 
次に、周りの人に対して、神様が聖書を通して教えている事を考えて宣言して行きましょう。神様が私達に教えている事は『互いに愛し合いなさい』です。だから、関わる人に対して『愛します』『私は神様にあってあなたを愛します』と宣言して行きましょう。とは言っても実際、面と向かっては言いにくいものです。だから、せめてその思いを持って行くことが大切です。そうすれば、その関係に平和が広がって行きます。 
神様に、自分に、人に聖書の語っているように告白をして、良い報いを受けてまいりましょう。 
そしてもう一つ、『手の働き』(行動)に関しても、口の言葉と同じです。神様に対して祈り、聖書を読むこと、奉仕、献金を聖書通りにして行くならば、神様から「恵み」という素晴らしい報いが帰ってきます。 
また、自分に対して信仰をもって行動して行く時、「平安」という素晴らしい報いが帰ってきます。 
そして、人に対して愛をもって行動して行く時、「平和」という素晴らしい報いが帰ってきます。 
私達の口の言葉と行動は、私達が思っている以上に様々な影響を与えています。だから、神様にも自分にも人にも愛と信仰を持って進み、神様からの良いもので満たされてまいりましょう。ハレルヤ♪ 

2010年1月10日(日)
礼拝メッセージ 〜カインとアベル〜

『正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。』
創世記4章7節


〜カインとアベル〜

本日はカインとアベルのお話です。彼らは兄弟で、お父さんはアダム、お母さんはエバ。初代の人類であり、初代の罪人でもあります。という事は、カインとアベルは二代目。実は私も二代目。クリスチャンに代目。牧師二代目。書道教室の先生も二代目。一般的に二代目と言うのは、伝統を守りつつも発展させなければならないし、三代目も育てなければならないなど、いろいろ大変かも知れませんが、私の場合は全て神様に任せているので、楽しく二代目やっています。
カインとアベルは二代目としてどのような思いをしていたか分かりませんが、神様との関わりは持っていたようです。カインもアベルも神様を礼拝する為に備え物を用意いました。カインは地の産物。アベルは羊の初子の最上のものをささげました。そして、神様はアベルの備え物を喜ばれました。それに対してカインは憤って顔を地に伏せました。
ある教会の牧師先生が「比較するところに悪霊が働く」と言っていましたが、カインはそこにはまってしまったのではないでしょうか。これは私達も気をつけなければならないところです。教会の中での存在や奉仕において、誰かと比較して落ち込んだり、優越感に浸ったりしていては、神様から目を離してしまう事になり、裁きと妬みが心を支配して、愛が枯れて行ってしまいます。また、他の教会や牧師と比較して批判したり中傷していては、神様の御心からどんどん遠のいてしまいます。「比較するところに悪霊が働く」私達も気をつけて行くべきです。聖書に戻りましょう。
カインは比較し憤りアベルに対して怒りを持ってしまいました。しかし、そんなカインにも神様は声をかけて下さいました。神様は憤りの中にいる者や悪に沈みかけている者をほっとかないお方です。そして、その人の現状を知らせ、注意点と進むべき道を教えて下さいます。神様はカインに対して『罪が門口に待ち伏せしている』と語り、また『罪があなたを慕い求めている。』と語り、さらに『あなたはそれ(罪)を治めなければならない』と語りました。
罪は、人間と神様との間を引き裂き、溝を造り、さらに悪を行わせ、不幸に陥れます。だから神様はその罪を治めるように命じています。しかし、残念なことにカインは治める事ができずに、アベルを殺していまい、悲しみと苦しみを広げてしまいました。
神様は今、私達に対しても『罪を治める』ように語っています。しかし、人間はそれを治める事ができません。だから、イエス様の十字架と復活が必要なのです。イエス様が私達の罪を治め、神様と共に歩めるようにして下さるのです。私達はこの大いなる恵みを心から感謝して、神様を見つめてなお信仰の道を歩んでまいりましょう。ハレルヤ♪

2010年1月10日(日)
教会学校礼拝メッセージ 〜安心のある人生〜

ヤコブの家よ、さあ、われわれは主の光に歩もう。『イザヤ書2章 5節』

〜安心のある人生〜

 人にとっての幸せは心に安心を持つ事です。そしてその為に、健康や経済力や良い人間関係などが必要になってきます。ではそれらを得る為にはどのようにすればよいでしょうか。その答えが本日の聖書です。

 神様が備えてくださった光であるイエス様を信じて、日々歩んで行くならば、様々な面に光が照らされて、正しい方へ明るい方へ平和な方へ導かれ、心に安心が広がります。そして、たとえ失敗したり、つまずいたり、倒れたりしてももう一度立ち上がる力も与えられます。
 神様が備えてくださった光であるイエス様を信じて安心のある人生を…!

2010年1月3日(日)
新年第一聖日 礼拝メッセージ 〜できる〜

この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。『申命記第30章14節 』

〜できる〜 

あるアメリカの政治的指導者が「私達アメリカ人はいろいろな事が出来る民族です。なぜならAmericanの最後にIcanと入っているからです。」とスピーチしていました。これを聞いていた人が「Mexican(メキシカン)にもIcanって入っているじゃん。」と言って、せっかくの感動を台無しにしていました。 
本日のメッセージの題は「できる」です。神様が私達に対して『できる』と宣言しておられます。何ができるのでしょうか?聖書の御言葉を行うことができるのです。本日の御言葉を詳しく見ていきましょう。 
『この言葉はあなたにはなはだ近くにあって』と記されています。神様の御言葉はイエス様の十字架と復活により私達の身近に存在するようになりました。そしてこの神様の御言葉は私達を慰め励まし教え導き成長させて下さいます。私達に幸せの道を歩ませる羅針盤です。だから私達も御言葉を身近においていきましょう。 
次に『あなたの口にあり』と記されています。以前、御言葉が口にあった牧師先生がいました。その先生は発する言葉の7割が御言葉で、年老いてもなお、積極的肯定的な生き方をしていました。そして、多くの人々にも神様からの希望を与えていました。私達も神様の御言葉を実際に口で宣言して行きましょう。 
次に『あなたの心にあり』と記されています。御言葉が心にあるとイエス様と同じ心になります。イエス様の心は平和を求める心であり、愛する心、ゆるす心、そして、全ての人に神様の最善がなる事を願う心です。また、心に御言葉があれば、様々な良い実を結ぶことができます。 
そして最後に『あなたはこれを行うことができる。』と記されています。神様は私達一人一人に対して『できる』と宣言しております。聖書に出てくるダビデもアブラハムもイサクもギデオンもパウロもペテロもヨハネも神様の御言葉を行って幸いを得、また幸いを広げました。そして私達も御言葉を行うことができます。 
イエス様によって今私達の身近にあり口にあり心にある御言葉を行って、幸いを得、幸いを広げて行きましよう。ハレルヤ♪